2011.
09.
28
脱サラ独立今までの道のり―①はこちらからお入りくださいね。
→ その1 悪夢の夜
今までの道のり・・・32
おかげで様で別居1年をすぎる頃には
完全に元通りの夫婦関係に戻ることができました。
ホントに長々と「脱サラテーマ」からずれた話をお聞かせして
スミマセン、、、。(笑)
この頃には夫のうつ症状も完全に抜けていたのだと思います。
全く元の元気な、はつらつとした状態に戻りました。
本当にやれやれ、でした、、、。
我ながらよくぞ辛抱強く通ったものだと思います。(笑)
結局、別居生活は1年半近く続いたのでしょうか?
夫婦関係は元に戻っていたのですが、
お互いまだまだ先の生活の見通しに不安も多く、
彼自身またもや「独立」への再起を
真剣に模索しているらしいことを
今度はかなりくわしく話してくれていました。
この時点では私自身も、もはや2度目の独立に反対する、
という気持ちはなかったです。
最初の脱サラの失敗で
夫がどれ程苦しんできたかをずっと見てきたので、
男としての夢も希望も自信も、いったん地面に叩きつけられて
しまったのですから、
「何としても、もう一度リベンジしたい。」
という気持ちはとても良く理解できました。
私が同じ立場でもやはりそう考えたと思うのです。
2度目の独立へ向けリベンジするのならば、
今度は私や私の両親のことに余計な気遣いせず、
ただ目的だけに集中した方が良いように思えました。
ですのでこの間、私の方から再び同居をとか、
結婚生活を、とか言ったことは1度もありません。
いわばお互いそれぞれ独身生活をしているのと
全く変わりません。
しかし、ある日突然1年半の別居生活に終止符が打たれました。
私の母が血を吐いて倒れてしまい、
急きょ入院、手術することになってしまったのです。
(胃潰瘍でした。)
夫はもともとお年寄りなど弱者に対してやさしい人なので、
母のためにあれこれと助けてくれました。
私も父も病院と家をいったり来たりで大忙しでしたので、
彼が家の方の留守番をしたり、交代で病院につめてくれたり、
だんだんアパートには帰らず、実家の方での泊りが続き、
結局その時のどさくさにまぎれて実家に戻ってきてくれました。
こののち数年後には両親ともあいついでガンで亡くなるのですが、
彼が2人に最後の最後までつくしてくれた数々のことは、
ただただ心から感謝―。 という他ありません、、、。
両親も本当に幸せだったと思っています。
再び同居生活に戻ってからどれぐらい後だったか
良く覚えていませんが、
夫はふたたび「独立」を試みました。
大手メーカーさん下請けでの「システムバス施工」のお仕事です。
このN-コーポレーションから2度目の独立した後、
またもや軌道に乗せることができず、撤退してしまうことに
なるのですが、、、。(笑)
→その65職人から経営者の道へで
簡単にですが、その後の道のりを書かせて頂いていますので、
よろしければぜひご覧になってみて下さいネ、、、。
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2011.
09.
27
今までの道のり・・・31
夫は拾って頂いたサイディング屋さんで
少ないながらもきちんと毎月お給料も貰えており、
全く新たな建築という職種の世界で
いわゆる番頭さんのような仕事をしていました。
現場での実作業と職人さんたちを束ねて
しっかり現場を押さえていくのは社長さん。
営業とマーケティング、各現場の割り振り管理、
人員募集、面接などは番頭さんである夫。
事務、経理全般は社長のお母さん。
(すごいしっかりしたきびしいお母さんだったらしいです。)
そんな図式で成り立っていたようです。
この頃の内情について初めは全然わかりませんでした。
後になってわかったことなのですが、この会社の社長さんは
まだ若く30代前半の若さで、夫よりも少し年下だったこともあり
そして職人さんから独立された方なので営業面に難点があり、
ずっと営業が本職だった年上の夫を頼りにして下さっていたようです。
本当にありがたいことに入社して1年足らずほどで
お給料もかなり上げて下さいました。
現場に手伝いにも行っていたようです。
大抵ワイシャツにネクタイ、その上に作業ブルゾン、
という姿で出勤しているのですが、
上下作業服で行く事もけっこう良くあり、
何故かそのときはコーキングで汚れてくるので
「どういう仕事をしているんだろう?」
と、初めは良くわからない部分が多かったのですが、、、。
後になって急に職人さんが休んで手が足りない、
などの時に現場に応援に行っていたことがわかりました。
まだあまり口をきいてくれなかったのと、
たいがい私がアパートに行くときは留守なのとで、
私なりに考えて「交換日記」のようなことを始めました。
洗濯物やお弁当、季節の果物などを届けたさいに
ノートにその日の私のでき事や仕事のことなどを
書いて置いておくのです。
そしていつの頃からか、彼もノートにその日のことなどを
ポツポツと書いてくれるようになってゆきました。
ポツポツと書かれた文章の中に
私に関することは全くなかったのですが(笑)、
仕事のことは次第にあれこれと
書かれるようになってゆきました。
とくに社長さんとの関係はとても良好のようで、
2人であんなことやこんなことを計画している、
とか話し合っている、
とかの内容もくわしく書かれていました。
「Nコーポレーション」はサイディングのみの施工会社ですが、
昨今かなり売上にきびしい面があり、
新たな展開を2人で色々と模索している、
などの内容を細かく書いてくれるようになってゆきました。
もともと夫は表面的にはおだやかな性格で、
大声を出したり、えらそうな物言いをしたりは
絶対にしない人なので、ホントにうれしいことに
職場の方たちにスムーズに受け入れて頂き、
溶け込んでいるように思えました。
私自身も生まれて初めての現場仕事ですし、
彼も同じく初めての建築の世界での仕事ですから、
だんだんお互い話がはずんできて
交換日記が充実してゆきました。
今思えばいい年をした大人同士、
よくもあんな中学生のようなことをやっていたものだと
つくづくなつかしいやらアホらしいものやら、、、(笑)。
その後次第に仕事内容も新たに展開できていったようで、
サイディングだけでなくシステムバスの組立施工の仕事を
夫が開拓してきて職人さんの数も相当に増やし、
かなりの業績のアップにつながっていったこともあり、
「毎日面接、面接で忙しい。」
と、イキイキと仕事している様子がノートの文章からも
感じられるようになってゆきました、、、。
つづく
夫は拾って頂いたサイディング屋さんで
少ないながらもきちんと毎月お給料も貰えており、
全く新たな建築という職種の世界で
いわゆる番頭さんのような仕事をしていました。
現場での実作業と職人さんたちを束ねて
しっかり現場を押さえていくのは社長さん。
営業とマーケティング、各現場の割り振り管理、
人員募集、面接などは番頭さんである夫。
事務、経理全般は社長のお母さん。
(すごいしっかりしたきびしいお母さんだったらしいです。)
そんな図式で成り立っていたようです。
この頃の内情について初めは全然わかりませんでした。
後になってわかったことなのですが、この会社の社長さんは
まだ若く30代前半の若さで、夫よりも少し年下だったこともあり
そして職人さんから独立された方なので営業面に難点があり、
ずっと営業が本職だった年上の夫を頼りにして下さっていたようです。
本当にありがたいことに入社して1年足らずほどで
お給料もかなり上げて下さいました。
現場に手伝いにも行っていたようです。
大抵ワイシャツにネクタイ、その上に作業ブルゾン、
という姿で出勤しているのですが、
上下作業服で行く事もけっこう良くあり、
何故かそのときはコーキングで汚れてくるので
「どういう仕事をしているんだろう?」
と、初めは良くわからない部分が多かったのですが、、、。
後になって急に職人さんが休んで手が足りない、
などの時に現場に応援に行っていたことがわかりました。
まだあまり口をきいてくれなかったのと、
たいがい私がアパートに行くときは留守なのとで、
私なりに考えて「交換日記」のようなことを始めました。
洗濯物やお弁当、季節の果物などを届けたさいに
ノートにその日の私のでき事や仕事のことなどを
書いて置いておくのです。
そしていつの頃からか、彼もノートにその日のことなどを
ポツポツと書いてくれるようになってゆきました。
ポツポツと書かれた文章の中に
私に関することは全くなかったのですが(笑)、
仕事のことは次第にあれこれと
書かれるようになってゆきました。
とくに社長さんとの関係はとても良好のようで、
2人であんなことやこんなことを計画している、
とか話し合っている、
とかの内容もくわしく書かれていました。
「Nコーポレーション」はサイディングのみの施工会社ですが、
昨今かなり売上にきびしい面があり、
新たな展開を2人で色々と模索している、
などの内容を細かく書いてくれるようになってゆきました。
もともと夫は表面的にはおだやかな性格で、
大声を出したり、えらそうな物言いをしたりは
絶対にしない人なので、ホントにうれしいことに
職場の方たちにスムーズに受け入れて頂き、
溶け込んでいるように思えました。
私自身も生まれて初めての現場仕事ですし、
彼も同じく初めての建築の世界での仕事ですから、
だんだんお互い話がはずんできて
交換日記が充実してゆきました。
今思えばいい年をした大人同士、
よくもあんな中学生のようなことをやっていたものだと
つくづくなつかしいやらアホらしいものやら、、、(笑)。
その後次第に仕事内容も新たに展開できていったようで、
サイディングだけでなくシステムバスの組立施工の仕事を
夫が開拓してきて職人さんの数も相当に増やし、
かなりの業績のアップにつながっていったこともあり、
「毎日面接、面接で忙しい。」
と、イキイキと仕事している様子がノートの文章からも
感じられるようになってゆきました、、、。
つづく
2011.
09.
26
今までの道のり・・・30
とまあ一瞬、かなり殊勝な気持ちを持ちつつも、
何せ相手は自分の夫ですから
そう芝居じみたことができるはずもなく、、、。
しかしすでに私の中で決意は固まっていたので、
「どんな手を使ってでも、もう一度夫の心を取り戻そう。」
と、心の中で固くこぶしを握りしめて、そう考えていました(笑)。
あれこれと対策を考えて「源氏物語」の中の一節に
「女は結局、最後はやさしくおだやかな女が勝つでは
ありませんか、、、。」
と、あるのを思い出して
「源氏物語作戦」
で、ゆくことにしたのです(笑)。
昼はガードマンをしながら夜と休日は別居中の夫の
アパートに「通い妻」を始めたのです。
(その51、52、53 ガテンの衝撃)で書いたように、
もしもこのガードマンという仕事をしていなかったら
私たち夫婦の人生は大きく変わってしまっていたと思います。
恐らく離婚、お互い全く別べつの道へ
別れていったと思います。
夫のアパートは実家から2駅離れた
4,5畳にバス、トイレ、ミニキッチンのワンルームで
家具といえるようなモノは何もありません。
しかし合い鍵がほしい、という私の願いに以外にもあっさりと
承知してくれたことが一筋の光明でした。
夜私が行くときも休日も、大抵ほとんど部屋にはいないので、
洗濯物を持ちかえり、お掃除などをして
必ず一言メモを残しておきました。
始めの頃は彼の精神面もまだ完全に健康ではなかったのか、
たまに部屋で会ってもほとんど私とはロクに口をきいては
くれなかったように記憶するのですが、
新しい職場ではけっこう前向きに仕事ができていたようです。
いかに私自身が夫のストレスになっていたかがうかがえます(笑)。
私の方はといえば、何とか夫の心を取り戻そうと必死だったので、
彼が口をきいてくれなくとも今はガマン、、、。
おだやかに、、、。おだやかに、、、。やさしく、、、。
「そう、私は今、紫の上なの、、、。」
と、自分に言い聞かせ、
(あ、どうか皆さん石を投げないで、、、。(笑) )
とにかくひんぱんにアパートに通いながら、
そうじ、洗濯物などを持ちかえってはまた届ける。
というような事をずっと黙々とやっていました。
お弁当や季節の彩りの良い果物やデザートなどを手作りして、
ソっと置いておいたりもしました。
玄関入ってすぐの所に気持ちが和みそうな、かわいいキレイな花を
一輪差しに生けておいたりもしました。
お布団をふかふかに干して、毎回違う柄のシーツに
変えてみたりもしてみました。
打てる手は全て打ちました(笑)。
必ずメモにやさしい一言を添えて、、、。
つづく
とまあ一瞬、かなり殊勝な気持ちを持ちつつも、
何せ相手は自分の夫ですから
そう芝居じみたことができるはずもなく、、、。
しかしすでに私の中で決意は固まっていたので、
「どんな手を使ってでも、もう一度夫の心を取り戻そう。」
と、心の中で固くこぶしを握りしめて、そう考えていました(笑)。
あれこれと対策を考えて「源氏物語」の中の一節に
「女は結局、最後はやさしくおだやかな女が勝つでは
ありませんか、、、。」
と、あるのを思い出して
「源氏物語作戦」
で、ゆくことにしたのです(笑)。
昼はガードマンをしながら夜と休日は別居中の夫の
アパートに「通い妻」を始めたのです。
(その51、52、53 ガテンの衝撃)で書いたように、
もしもこのガードマンという仕事をしていなかったら
私たち夫婦の人生は大きく変わってしまっていたと思います。
恐らく離婚、お互い全く別べつの道へ
別れていったと思います。
夫のアパートは実家から2駅離れた
4,5畳にバス、トイレ、ミニキッチンのワンルームで
家具といえるようなモノは何もありません。
しかし合い鍵がほしい、という私の願いに以外にもあっさりと
承知してくれたことが一筋の光明でした。
夜私が行くときも休日も、大抵ほとんど部屋にはいないので、
洗濯物を持ちかえり、お掃除などをして
必ず一言メモを残しておきました。
始めの頃は彼の精神面もまだ完全に健康ではなかったのか、
たまに部屋で会ってもほとんど私とはロクに口をきいては
くれなかったように記憶するのですが、
新しい職場ではけっこう前向きに仕事ができていたようです。
いかに私自身が夫のストレスになっていたかがうかがえます(笑)。
私の方はといえば、何とか夫の心を取り戻そうと必死だったので、
彼が口をきいてくれなくとも今はガマン、、、。
おだやかに、、、。おだやかに、、、。やさしく、、、。
「そう、私は今、紫の上なの、、、。」
と、自分に言い聞かせ、
(あ、どうか皆さん石を投げないで、、、。(笑) )
とにかくひんぱんにアパートに通いながら、
そうじ、洗濯物などを持ちかえってはまた届ける。
というような事をずっと黙々とやっていました。
お弁当や季節の彩りの良い果物やデザートなどを手作りして、
ソっと置いておいたりもしました。
玄関入ってすぐの所に気持ちが和みそうな、かわいいキレイな花を
一輪差しに生けておいたりもしました。
お布団をふかふかに干して、毎回違う柄のシーツに
変えてみたりもしてみました。
打てる手は全て打ちました(笑)。
必ずメモにやさしい一言を添えて、、、。
つづく
2011.
09.
25
今までの道のり・・・29
→建築職人「ガテンな衝撃」―①はこちらからどうぞ
私もすでにこっちの世界に来て長いですが、今までただの1度も
そのような下品なセリフを口にする親方さんにも職人にも
お目にかかったことは1度もありません。
(ただし、ガードマン仲間にはそういうのがいました。)
なので、ガードマン時代に関わった職人達が特別にそうだった。
という訳でもありません。
今冷静に考えてみれば、あの
「ヘラヘラと下品な上司連中。」
も、何か相当な仕事なり人間関係なり、
家庭でのストレスを抱えていたんだろう。
と、思います。
かなり良い大学も出ていて、学歴、教養もあり、
なおかつ仕事の場であのような言動をするのは
「自分よりも弱い立場の者に対する陰湿な攻撃。
ストレス発散。」
としか思えません。
ストレスが人間に与える影響がとても大きいのは
良くl理解できるのですが、
やはりどのように割り引いて考えても
今思い出してもゾっとします。
いずれにせよ、もうオフィス仕事にはこりごりしていたのと、
男から仕事のグチや不満話を聞かせれることに
もうんざりしていたので、
それがほとんど無い職場というのはとても気持ちが楽でした。
あのヘラヘラとした上司連中には本当に悩まされていたので、
「この人たちと彼らと、なんで違うんだろう?」
と、ふと考え込んでしまいました。
そしてある時、明確に、とまではいかないのですが、
その答えが何となくわかるような、、、。
ああ、そういうことなのか、、、と思うような、、、。
そんなできごとがあったのです。
ある土砂降りの雨の日でした。
工期の遅れのために工事は予定通りに始められ、
仲良しの土木の職人連中は皆、
ためらうこともなく次々と穴の中に降りてゆきました。
情け容赦もなく1日中激しい雨が降り続け、
穴の中に多量の水がどんどんと流れ込んでゆくのです。
水をくみ出す排水ポンプの機械音と激しい雨音とで、
怒鳴らないと隣に立っている監督とも
お互い何をしゃべっているのかほとんど
聞こえないような状況でした。
私は彼らの体が心配で、ただオロオロと
早く工事が終わることを願って
上で待つことしかできませんでした。
あたりは悪天候のために真っ暗で、
上からは彼らの姿もほとんど判別できず、
そして私の体もまたびしょぬれで、
ガチガチと寒さと不安で歯が鳴り続けていました。
そしてようやく終了のサイレンが鳴りわたり、
みんな無事に上がってきたのですが、、、
さぞかし疲れたろう、つらかっただろうと思って
タオルをたくさん持って行くと、、、。
私の心配なんぞどこ吹く風。
誰もがごく平然として、
泥まみれで目と歯だけが真っ白で、
お互い冗談と軽口を楽しそうにたたき合い、
「姉ちゃん、寄るなよ。姉ちゃんの服が汚れるぞ。」
と、ニコニコと笑顔で、
無事に仕事が終わったこと、やりとげたこと。
今日1日の仕事を無事に終わらせた安堵と喜びと誇りに満ちて
誰の顔もイキイキと輝いているのです。
ホッと安心した気持ちと拍子抜けと、
彼らにつられて私もまた、
一緒に軽口をたたいて大笑いをしてしまいました。
彼らは強い、、、!
そして「男としての生命力」がある。
なまじの精神的ストレスなど
ねじ込んでしまうほどの相当な量の、
しかも過酷な仕事を肉体を駆使して日々、
ごく当たり前のようにこなしている、、、。
何とも表現がむずかしいのですが、、、。
そんな感じのことを強く思いました。
つまり、、、彼らの姿と仕事ぶりに、
男が仕事をしている時の姿に
私はすっかりと「感動」してしまったのです。
そんな感覚は後にも先にも全く初めての経験でした。
それと同時に、毎日毎日男ばかりの職場の中で、
彼らがいかに妻子のために、
守るべき大事な者たちのために
汗水を流して働いているか。
汗にまみれ、ドロにまみれ、雨に打たれて
懸命に働いているか―。
という姿を、現実をまざまざと目の当たりにして、、、。
「男」というものに対して目からウロコが落ちたのです。
ハンマーパンチをくらったような3度目の留めの衝撃でした。
ウロコが落ちると同時に
いかに自分が男に対して、夫に対して、
なんという高飛車な高慢な態度の女であったのか―。
自分の夫に対してなんて生意気な、
敬意を持っていない女だったか―。
どれほど夫は私に幻滅しただろう?
失望したのだろう?
だからああして出て行ってしまったのだ―。
ということを改めて思い知らされました。
「ああ、私は間違っていた、、、。
男の人って何てすごいんやろう !
何て偉いんやろう、、、!
できることなら夫にあやまりたい。
あやまって許してもらいたい。
額をこすりつけてでもあやまって、
今度だけは何としても許してもらいたい―。」
心の底からそう願ったんです。
つづく
→建築職人「ガテンな衝撃」―①はこちらからどうぞ
私もすでにこっちの世界に来て長いですが、今までただの1度も
そのような下品なセリフを口にする親方さんにも職人にも
お目にかかったことは1度もありません。
(ただし、ガードマン仲間にはそういうのがいました。)
なので、ガードマン時代に関わった職人達が特別にそうだった。
という訳でもありません。
今冷静に考えてみれば、あの
「ヘラヘラと下品な上司連中。」
も、何か相当な仕事なり人間関係なり、
家庭でのストレスを抱えていたんだろう。
と、思います。
かなり良い大学も出ていて、学歴、教養もあり、
なおかつ仕事の場であのような言動をするのは
「自分よりも弱い立場の者に対する陰湿な攻撃。
ストレス発散。」
としか思えません。
ストレスが人間に与える影響がとても大きいのは
良くl理解できるのですが、
やはりどのように割り引いて考えても
今思い出してもゾっとします。
いずれにせよ、もうオフィス仕事にはこりごりしていたのと、
男から仕事のグチや不満話を聞かせれることに
もうんざりしていたので、
それがほとんど無い職場というのはとても気持ちが楽でした。
あのヘラヘラとした上司連中には本当に悩まされていたので、
「この人たちと彼らと、なんで違うんだろう?」
と、ふと考え込んでしまいました。
そしてある時、明確に、とまではいかないのですが、
その答えが何となくわかるような、、、。
ああ、そういうことなのか、、、と思うような、、、。
そんなできごとがあったのです。
ある土砂降りの雨の日でした。
工期の遅れのために工事は予定通りに始められ、
仲良しの土木の職人連中は皆、
ためらうこともなく次々と穴の中に降りてゆきました。
情け容赦もなく1日中激しい雨が降り続け、
穴の中に多量の水がどんどんと流れ込んでゆくのです。
水をくみ出す排水ポンプの機械音と激しい雨音とで、
怒鳴らないと隣に立っている監督とも
お互い何をしゃべっているのかほとんど
聞こえないような状況でした。
私は彼らの体が心配で、ただオロオロと
早く工事が終わることを願って
上で待つことしかできませんでした。
あたりは悪天候のために真っ暗で、
上からは彼らの姿もほとんど判別できず、
そして私の体もまたびしょぬれで、
ガチガチと寒さと不安で歯が鳴り続けていました。
そしてようやく終了のサイレンが鳴りわたり、
みんな無事に上がってきたのですが、、、
さぞかし疲れたろう、つらかっただろうと思って
タオルをたくさん持って行くと、、、。
私の心配なんぞどこ吹く風。
誰もがごく平然として、
泥まみれで目と歯だけが真っ白で、
お互い冗談と軽口を楽しそうにたたき合い、
「姉ちゃん、寄るなよ。姉ちゃんの服が汚れるぞ。」
と、ニコニコと笑顔で、
無事に仕事が終わったこと、やりとげたこと。
今日1日の仕事を無事に終わらせた安堵と喜びと誇りに満ちて
誰の顔もイキイキと輝いているのです。
ホッと安心した気持ちと拍子抜けと、
彼らにつられて私もまた、
一緒に軽口をたたいて大笑いをしてしまいました。
彼らは強い、、、!
そして「男としての生命力」がある。
なまじの精神的ストレスなど
ねじ込んでしまうほどの相当な量の、
しかも過酷な仕事を肉体を駆使して日々、
ごく当たり前のようにこなしている、、、。
何とも表現がむずかしいのですが、、、。
そんな感じのことを強く思いました。
つまり、、、彼らの姿と仕事ぶりに、
男が仕事をしている時の姿に
私はすっかりと「感動」してしまったのです。
そんな感覚は後にも先にも全く初めての経験でした。
それと同時に、毎日毎日男ばかりの職場の中で、
彼らがいかに妻子のために、
守るべき大事な者たちのために
汗水を流して働いているか。
汗にまみれ、ドロにまみれ、雨に打たれて
懸命に働いているか―。
という姿を、現実をまざまざと目の当たりにして、、、。
「男」というものに対して目からウロコが落ちたのです。
ハンマーパンチをくらったような3度目の留めの衝撃でした。
ウロコが落ちると同時に
いかに自分が男に対して、夫に対して、
なんという高飛車な高慢な態度の女であったのか―。
自分の夫に対してなんて生意気な、
敬意を持っていない女だったか―。
どれほど夫は私に幻滅しただろう?
失望したのだろう?
だからああして出て行ってしまったのだ―。
ということを改めて思い知らされました。
「ああ、私は間違っていた、、、。
男の人って何てすごいんやろう !
何て偉いんやろう、、、!
できることなら夫にあやまりたい。
あやまって許してもらいたい。
額をこすりつけてでもあやまって、
今度だけは何としても許してもらいたい―。」
心の底からそう願ったんです。
つづく
2011.
09.
25
今までの道のり・・・28
そして彼らは作業途中の休み時間などには
仕事の話、現場の段取りの話、道具のこと、工具のこと、
自分の仕事の腕のこと、先輩の仕事の腕のこと、
ひとくさり話をしてまたしても道具のこと、
工具のこと、仕事のこと、、、。
などをお互い顔を輝かせてしゃべるのです。
ホワイトカラーの世界にいた時とはずいぶんと
様子が違っているのです。
まず第一に仕事に関しての
「うだうだ話やグチグチ話。」
が、ほとんど聞こえてこない、、、。
「この人たちは今まで私の知っている男たちとは
なんか違うゾ、、、?」
そして「ガテンな男たち」は仕事が終わり、
持ち場から離れるやいなや、
どことなくシャイでやさしくおとなしく、物静かで口ベタで、
ぶっきらぼうでいながらそれでいて、
実に細やかな気遣いができる、、、。
女性は私だけだったためか、トイレのことや着替えの場所や、
(月に1度、彼らが使う仮設とは別の、はるか遠くのトイレまで
行っていたので、、、。)
気がつけば誰かがカーテンを用意してくれていたり、
どこからか小さな自転車を用意してくれていたり、、、。
そして何よりも私を驚愕させたのは、ただの1度も
「セクハラまがいのことをする男が誰1人としていない。」
という事実でした。
私にはそのことが実に新鮮な驚きだったのです。
何故ならばOL時代、私はもちろん仲間のOLたちも
職場でおぞましいセクハラをしょっちゅう受けていたからです。
というのはこの時代、まだまだ働く女性の立場は弱く、低く、
「男女雇用機会均等法」など影も形もありません。
「言葉のセクハラ。」は、あって当然。
「体へのセクハラ。」まで、、、。
とくにお酒が入るともう、彼らはやりたい放題。
まだまだそんな時代だったのです。
今の若い女性社員たちならばとっくにケリを100発ぐらい
入れていると思います。(笑)
もしくは親睦会などのお酒に誘われたとしても断固、
きっぱりと断るでしょう。
特に26-27才をすぎた頃からそれらは益々ひどくなってゆき、
面と向かって、「嫁に行き遅れ」だの「もうオバサン」だの、
胸が小さいとか大きいとか、足首が細いとか太いとか。
持っているカバンや靴や服の趣味のことに至るまで
真昼間の職場で平気で言ってのける。
ヘタに言い返すと、
「うわあ女も年取ると怖いねえ。 怖い怖い。」
などと、まだ35才にもなっていない超ベテランの
我々の大先輩に向かってほざく始まつ。
ヘラヘラと笑いながら冗談まじりに言う上司たちには
私達OL仲間は皆、つくづくと閉口させられたものでした。
会社は2社変りましたがどちらも同じ、
対して変りはなかったです。
一応どちらも「1部上場会社」です。
学生時代の同期の友人たちも皆このような経験は似たりよったり。
もちろんそうではない紳士的な人たちの方がほとんどなのですが、
必ず2人、3人はそんな輩の上司がどこの職場にも存在している、、、。
そのような時代だったのです。
職場での私達OL仲間は、もう、
「男とはそういうもの。」
とあきらめの気持ちの方が強くて、如何にうまく彼らをかわすか
避けるか陰でいじわるをしてやるか、程度のことでハラの虫を
何とかおさめておく、、、。
そんな感じでした。
ところがこっちの世界に来て、
それが全く皆無。
こんなに男ばっかりなのに1人としていない、、、。
なぜ?
2度目の衝撃だったのです、、、。 つづく
そして彼らは作業途中の休み時間などには
仕事の話、現場の段取りの話、道具のこと、工具のこと、
自分の仕事の腕のこと、先輩の仕事の腕のこと、
ひとくさり話をしてまたしても道具のこと、
工具のこと、仕事のこと、、、。
などをお互い顔を輝かせてしゃべるのです。
ホワイトカラーの世界にいた時とはずいぶんと
様子が違っているのです。
まず第一に仕事に関しての
「うだうだ話やグチグチ話。」
が、ほとんど聞こえてこない、、、。
「この人たちは今まで私の知っている男たちとは
なんか違うゾ、、、?」
そして「ガテンな男たち」は仕事が終わり、
持ち場から離れるやいなや、
どことなくシャイでやさしくおとなしく、物静かで口ベタで、
ぶっきらぼうでいながらそれでいて、
実に細やかな気遣いができる、、、。
女性は私だけだったためか、トイレのことや着替えの場所や、
(月に1度、彼らが使う仮設とは別の、はるか遠くのトイレまで
行っていたので、、、。)
気がつけば誰かがカーテンを用意してくれていたり、
どこからか小さな自転車を用意してくれていたり、、、。
そして何よりも私を驚愕させたのは、ただの1度も
「セクハラまがいのことをする男が誰1人としていない。」
という事実でした。
私にはそのことが実に新鮮な驚きだったのです。
何故ならばOL時代、私はもちろん仲間のOLたちも
職場でおぞましいセクハラをしょっちゅう受けていたからです。
というのはこの時代、まだまだ働く女性の立場は弱く、低く、
「男女雇用機会均等法」など影も形もありません。
「言葉のセクハラ。」は、あって当然。
「体へのセクハラ。」まで、、、。
とくにお酒が入るともう、彼らはやりたい放題。
まだまだそんな時代だったのです。
今の若い女性社員たちならばとっくにケリを100発ぐらい
入れていると思います。(笑)
もしくは親睦会などのお酒に誘われたとしても断固、
きっぱりと断るでしょう。
特に26-27才をすぎた頃からそれらは益々ひどくなってゆき、
面と向かって、「嫁に行き遅れ」だの「もうオバサン」だの、
胸が小さいとか大きいとか、足首が細いとか太いとか。
持っているカバンや靴や服の趣味のことに至るまで
真昼間の職場で平気で言ってのける。
ヘタに言い返すと、
「うわあ女も年取ると怖いねえ。 怖い怖い。」
などと、まだ35才にもなっていない超ベテランの
我々の大先輩に向かってほざく始まつ。
ヘラヘラと笑いながら冗談まじりに言う上司たちには
私達OL仲間は皆、つくづくと閉口させられたものでした。
会社は2社変りましたがどちらも同じ、
対して変りはなかったです。
一応どちらも「1部上場会社」です。
学生時代の同期の友人たちも皆このような経験は似たりよったり。
もちろんそうではない紳士的な人たちの方がほとんどなのですが、
必ず2人、3人はそんな輩の上司がどこの職場にも存在している、、、。
そのような時代だったのです。
職場での私達OL仲間は、もう、
「男とはそういうもの。」
とあきらめの気持ちの方が強くて、如何にうまく彼らをかわすか
避けるか陰でいじわるをしてやるか、程度のことでハラの虫を
何とかおさめておく、、、。
そんな感じでした。
ところがこっちの世界に来て、
それが全く皆無。
こんなに男ばっかりなのに1人としていない、、、。
なぜ?
2度目の衝撃だったのです、、、。 つづく