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2011. 10. 28  
このころ、ウチで働いてくれていた職人さんで、
この世界でのキャリアも夫よりはるかに長く、
ずっとこの世界で頑張り続けてきた人なのですが、
かなり職人気質な人がいました。
Hさんという、とてもまじめな職人さんでした。

もちろんこの頃、夫も彼らと一緒に現場で実作業を
ほとんど毎日やり続けていたのですが、、、。

夫が、
 「職人か。 経営者か。」

という、このあたりの問題でずっと心の中の
葛藤を続けていたときに、
その職人さんとの不協和音、まさつが生じたことが
実はあったのです。
   (また後にもう少し詳しくお話させて下さいね。)

この時点ではその職人さんの意識の中で
たとえ職人の世界であろうと、
この商売をさらに次へと発展させ、
社員たちの今後の将来につなげていくためには、

 「社長である夫は、職人仕事自体ではなく、
  事業をより良く経営してゆくことに
  全力をそそがないとないといけない。」

という概念へ転換させることを
なかなかうまく理解してもらえなかったのかも
しれないのですが、、、。

夫の意識がその方向へ行くことにその人がとても嫌がった、
といえば良いのでしょうか、、、?
どう表現すればいいのか、
拒否反応のようなものを示した、というのか、、、。

ある1つのまさつが生じたことがあったのです。

結局それがきっかけになったのかなあ、と思うのですが、
その時点で夫は自分自身が職人としてずっと腕を磨いてゆく。
という道は断念して、経営者として意識転換をはかりました。

その内面の変化が私にも
ビリビリっと伝わってきたことを
とても良く覚えています。

「ああ、、、。 この人はとうとう決断したんやなあ。」
と思いました。

私が長い結婚生活の中で、
つい惚れ直してしまったのは実はこのときの夫でした。
(スミマセン。 聞き流して下さい、、、。(笑) )

しかし、もちろんウチはごく小さな零細ですし、
現場を知らずして商売は絶対にできないので、
夫が現場から完全に離れてしまう、ということは
昔も今もずっと通してありえません。

ただ、意識の中で「職人である。」という意識は捨てて、
「自分は経営者である。」という意識に完全に変革させた。
ということになります。

この時点から夫と私の頭の中に、
   「自分たちの今後。」
というものが消え失せて、
   「彼ら。 社員の人たちの今後。」
という事ばかりが頭の中を占めるようになってゆきました。

それからが零細の一事業者としての長い長い本当の戦いが
スタートしたように思います。






     

        















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2011. 10. 27  
(その4、その63)で夫が最後の独立をしたあと、
「経営」ということに関しては私たちは全然わかっていなかった。
というお話をしました。
  その4 経営者意識?何それ?
  その63 独立することの意義は?

夫も3度目がスタートしてから最初の6―7年ほどは
ただ必死で仕事の腕をもっと磨くこと。
遊ぶことがないように仕事を取っていくこと。
この間に少しでも内部留保をしようとしていたこと、、、。

などだけでアっという間に年数が過ぎてしまったと言っています。
この間の流れをざっとご説明させて頂くと、
(その56 2度目の独立へリベンジからの後のことになります。)

  「2度目の独立は、N コーポレーションからの独立。  
   今度は初めての建築業界でのチャレンジ。  
   しかしわずか2年足らずで2度目の失敗。
   またしても撤退、勤め人に。 
     ( この時の失敗の原因は本人のスキル不足。)
   しかし職種、業界自体には十分手応えがあったので、
   同業種の別の施工会社へ再び潜り込む。」

  「そこで1年ほど職人として働いたのち、
   しつこく3度目の今度も同じ職種での最後の独立。
   3度目は始めはT-テックという屋号で
   友達と2人でやっていた。」

  「3年間友達と二人でやっており、
   その間に少しずつ私もその中に合流。   
   いいかげん黙っていられなくなり、
   あれこれと口出しするようになる。」

  「私があれこれと口出しするのがうるさいためか(笑)、
   4年目からはその友だちとは比較的円満に別会社とし、
      ( T-テックの屋号は先方にあげました。)
   屋号もXX住設に変えて、ここから夫婦二人だけになり、
   さらに4年間デコボココンビだけで
   ああでもないこうでもないとドタバタとやっていた。」
   ( ただ、この間にようやく始めて内部留保が実現する。)

  「その後、だんだんと二人では手がまわらなくなり、
   従業員を雇うようになってから有限会社にする、、、。」

ざっとこんな流れだったでしょうか。
こう書いてみるとホントにほめられたもんじゃないですよね(笑)。
すごい遠回りをしてきたなあ、、、。と思います。
経営力の「け」の字もあったもんじゃないです、、、。

この最後の4年間の夫婦だけでやっていた時も、
「経営する。」という視点で商売をとらえていたかといえば
全然だったなあ、、、。 と改めて思います。

ところがそののち、従業員さんを数人雇うようになってから、
それまでの意識レベルでは全く通用しないことが
ようやく少しずつわかってきました、、、。

また後ほどこのあたりの経緯を詳しくお話させて頂きたいのですが、
この頃に夫自身が、

  「自分はこれからも良い職人であるべきなのか。
   そうではなく経営者としてやっていくべきなのか。」
という内面の葛藤が実はものすごくあったのです。

今思えばもちろん後者であるべきなのはごく当然のことなのですが、
この時点ではまだまだそのあたりが私たちには
良くわかっていませんでした。

夫の中では

  「この仕事をもっと極めていって、
   さらに良い職人として大成していきたい。」  
という思いがかなり強かったのです。

特にこのガテンな世界は何といっても
 「腕が勝負」
の世界です。

学歴も学閥も入社年月日もくそもへったくれもないのです(笑)。   
「腕の良い熟練の職人が上。」
という世界なのです。

まだまだ職人としての腕を磨いて熟練を積み、
この業界のもっと上を目指したい。 
と彼が考えたのも、それもまたこの時点では
しごく自然のことだったのかもしれません。

ところが実際のところ、
夫自身が技術に夢中になればなるほど、
さらに腕を磨こうと努力すればするほど、
商売自体がぎくしゃくとしてしまう、、、。

そのような矛盾した現実に直面してゆくように
なっていきました、、、。                               
                     つづく








   
かっちゃんやっちゃん デコボココンビです。 
IMG_1646_convert_20120204090505.jpg       おこしやす ごてヤスやっちゃんどす。
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2_convert_20150509053231.jpg Authorやっちゃん なぜか10人いれば10人           「 奥さんB型だよね? 」といわれるO型です。
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なってしまいます。
更年期と戦う日々を送ってます。
介護事業所にてバイトしてマス。
大阪で建築業を営んでいましたが      かっちゃん実家鹿児島母要介護リハビリ
のため大阪から鹿児島に移り住みました。
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あだ名 ごてヤス     自称 南海の黒豹

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趣味 花づくり 読書   大阪より帰鹿

かっちゃん座右の銘 命惜しむな名こそ惜しめ
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