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2012. 01. 22  
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みなさんこんにちわ !
いつもデコボコブログにおいでいただきありがとうございます。
かっちゃんやっちゃんの尊敬する稲盛さん、寂聴さんの対談本が
新しく出たので、さっそく買って2人で読んでみました。

寂聴さん、脊髄を骨折されてて、
あの3月11日もずっとほとんど身動きでず
寝たきりになられてて、
だけど福島原発が爆発した後に、
「これはやっぱり私が何とかしなくちゃ。 被災地に行かなくちゃ。
 原発はもう、絶対やめさせなきゃ。」 
と思ってるうちに、気が付いたらベッドから滑りおりて
ご自分の足で立ってた、とおっしゃっているの。 すごい、、、。

御年90才の寂聴さん。
「こういうのを「原発ショック立ち」っていうのよ。」って
おっしゃっていて(笑)、それから何度も被災地に青空説法に行かれてるの。

稲盛さんも福島に行かれてて、ほんとに偶然
南相馬の避難所でお会いしてもう、びっくり仰天したってお話は
以前させて頂いたとおりです。
その100 京セラ稲盛和夫さん南相馬でびっくり仰天の出会い―①
その101 京セラ稲盛和夫さん南相馬でびっくり仰天の出会い-②

IMG_1448.jpg本誌 石神避難所での稲盛さん。


余人には無いすごいパワーの方たち、とはいえ、
何と言ってもお二人ともお年ですから、
やはりとても心配なんですが、、、。

これを読むと、稲盛さん、現在もJALの再建に
心血注いでおられるんだけど、
やっぱりご家族も友人も知人もまわりは
全て大反対されてたんですね。
 「晩節を汚すことになるから止めておけ。
  おまえはバカか。 とも言われましたね。」って、、、。

かっちゃんもおんなじこと、言ってたもんね(笑)。
大リストラは絶対必要だから、ものすごい恨み買うだろうし、
もう80才にもなられるのに
脳溢血でも起こしたら大変だって、、、。

けど、JALが再建できなければ、
今後の日本経済へ与える打撃の影響と、
再建できれば後に残る大勢の雇用を守ることができる、
などへの強い使命感から無給でなら、と引き受けて、
そして見事にその使命を果たしておられる、、、。

最初に稲盛さんが会社に行った時、社員がどんな状態だったか、
その後どうなっていって、今に至ってるか率直にお話されてて、
このあたりの詳しいお話はぜひ本をお読みくださいね。

この強固な意志の力。 私心のない志。 激烈な使命感。
そして圧倒される情熱とパワー。

前回( その125 )で、私の好きな歴史上の人物が
鑑真和上だってことを書いたんだけど、
なんだかすごい重なってしまった、、、。

かえすがえすも石神避難所で稲盛さんと2ショットを撮り損ねたの、
もう、ほんとに悔やまれるわ、、、(笑)。
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2011. 12. 11  
その②
下に「民謡、カラオケ大会」の模様、
写真をアップしています。 どうぞご覧くださいネ♡ 


ほんとに突然、稲盛さんが入ってこられて
私はもう、びっくり仰天。

「ウソやろ、、、? あり得へん、、、。 そっくりさんとちがう?」 

一瞬我が目を疑って、ほんとにそう思いました(笑)。
                         
稲盛さんは、この大震災で親を亡くしてしまった
福島の子供たちに、私財を投じて直接支援をするために、
南相馬にわざわざ足を運ばれて来られていたんです。
( このこと、あんまり知られていないような気が
するんだけどなあ、、、? )

それまで芸能関係者も、大手マスコミも、
ましてや大物財界人などほとんど誰も来ないこの当時、この南相馬。
一体いつどうなるか全くわからない状態の福島第一原発の
すぐ近くまで稲盛さんが直接、、、!?

そう思うと私はもう、感激してしまって、あつかましくも、
まわりにたくさんの同行の社員らしき方がいるのも全然かまわずに、
この気持ちを一言だけ伝えたくて、スタスタスタっと
前まで歩いていって、

「ようこそこの遠い所をここまでわざわざお越し下さいました。
 本当にありがとうございます!」

と、こっちの方からあつかましく言ってしまいました。

稲盛さんは私が想像していた以上に小柄な方で、
むしろ地味な印象さえ強くあって、とてもやさしげで暖かい、
つやつやされたお顔に温和な笑顔を浮かべて、
そっと私の手をとって握手して、

「ありがとうございます。 
 あなたこそほんとにごくろう様です。
 少しお邪魔させて下さいね、、、。」

と静かにおっしゃって、避難者の方たちのブースを
1つ1つまわって行かれました。

その間、夫はこんな時に一体どこへ行ったんだろう?
とあたりを見渡してもそこら辺に見当たらないので、
すぐに携帯すると、他の避難者の男の人たちと一緒に、
いつもの喫煙所でタバコを吸ってみんなでダベっているらしく、

「あのねー。 そんなとこで何をしてんのよ? 
 のんきにタバコなんか吸ってる場合とちゃうで。
 京セラの稲盛さんが来たはるねんっ。
 早よ中に入ってきてっ。」

「ウソつけー。 そんなワケないやろ? 
 稲盛さんがここへ来るワケないがな。
 そんなんあり得へん(笑)。 」ってすぐに携帯切ろうとするから、
「ホンマなんやって。 ウソとちゃうねん。
 早よ来なさい。 ダッシュっ ! 」

あーもう、肝心なときにイライラする。(笑)

夫は半信半疑で飛んできたのですが、本物を見て
鳩が豆鉄砲くらってほとんど動けない状態。(笑)

稲盛さんは避難者の方たちとお話してまわったあとに、
ふたたび私たちの立っている所へ来て
あれこれと現状を聞いて下さったので、
またも私はあつかましくここでの問題点、活動内容、
高齢者の方々の現状、
などを詳しくお話させて頂いたのですが、
隣に立っていた夫の方はと言えば、
緊張と感激で無言の直立不動状態(笑)。

それも無理ないと思うの。
夫にとって稲盛さんは完全に雲の上の人。
突然お会いできた感激でほとんど頭がパープー状態(笑)。

稲盛さんは被災地のお年寄りの過酷な今後の現状について、

「うん、、、うん、、、。」

と、熱心に聞いて下さって夫の方へ話かけ、
夫が同県人だとわかったとたんに、
少し沈痛な面持ちだったその温和なお顔が
突然ぱあっと輝いて、そのやさしげな目に
ぐっと力と光がみなぎって、

「そうでしたか、そうでしたか。 あなた鹿児島の方なんですか。
鹿児島の人がここまで来てこのような事を、、、。
同じ鹿児島県人として私、こんなにうれしいことないです。
私ほんとにうれしいです。
同県人として心底誇りに思います。                      
ありがとうございます。 本当にありがとう! 」

夫の手を両手できつく握りしめて、なんとあの
天下の稲盛さんが、初対面の夫に対して深々と、
何度も頭を下げられたんです。
再びみたび、私はもう、びっくり仰天、、、!

私は恐縮しまくり、
夫は夫でこめつきバッタのごとく(笑)、
何度も頭を下げまくりで、、、。

  「実るほどこうべを垂れる稲穂かな。」

という言葉をしみじみとかみしめたシーンでありました。

去って行かれる稲盛さんを
夫は直立不動の最敬礼で見送りながら、

「やっぱり思い描いていた通り、すごい人や。
 ここまで来てくれはったんは稲森さんただお一人だけや。
 なんて熱いすごいお人なんやろう、、、!」

「よかったネ。 
かっちゃんがずっと会いたかった人に会えて。
おまけにかっちゃんのこと、えらい誉めてくれはって。
かっちゃんが大阪から何時間もぶっ通しで運転して、
わざわざ応援にかけつけてくれたから、神様がごほうびを
くれはったんやね。」
 
この時もまたまたカメラを忘れてきてて、
稲盛さんとツーショットが撮れなかったの、、、。
くすん、、、(涙)。



石神非難所に突然現れた京セラ名誉会長稲盛和夫さん。 
IMG_1448.jpg



この日の夕方から予定通り、渡部英夫さんを始め、
たくさんの方たちに助けてもらって
無事に民謡大会カラオケ大会を実行に移すことができて、
ほんとにひとときですが、
みんなで大いに楽しく盛り上がりました。
(下にメモリーフォトをアップさせて頂きました。
これ、地元の方が当日たくさん写真を撮って、
わざわざDVDに焼いて下さった写真なの。)

私は以前から自分の中で考えていたことが、
改めて正しかったことを
しみじみと心の中でかみしめていました。

「いかにもカリスマっぽい、
 いかにもオーラがギンギンみなぎった、
 という感じの人よりも、むしろ普段は人よりひっそりと、
 地味で目立たない、すごい腰の低い印象の人にこそ、
 優れた経営者の人がいたはる、、、。」

と今までずっと思っていて、
やっぱりその通りだった、
私は間違っていなかった、と考えていました。

というより、
いかにもカリスマーって感じの経営者の人は、
私、昔からあんまり好きではないんです。

過去お勤めしてたときに、
そんな感じの社長さんは初めはすごくいいんですけど、
後になって幻滅させられることばっかりだったので、、、。 

たしか松下幸之助さんも同じことを書いてました。
自分が過去何万と出会った経営者の中で、
尊敬するすぐれた経営者の人は皆1つだけ共通点があって、
それは目立たないことと腰が低いことだって、、、。

でも稲盛さん、ビジネスの場では
とてもビシバシきびしい方なんだそうです。
でなければあれだけの大事業、できるわけもないです。

でも今回、
私たちがほんの一瞬だけお会いできた稲盛さんは、
私が子供の頃からお世話になってる、
ご近所のおじいちゃんのような
やさしい、やさしい方でした。 
(あ、また恐れ多いことを、、、。(笑) )

そして本当に熱い熱い、燃えるような情熱の方でありました。





民謡日本一に輝いたすばらしい唄声で熱唱して下さる渡部さんと、
三味線、尺八、太鼓などの演奏家の方たちです。
民謡大会

民謡大会

民謡大会

民謡大会



「新相馬節」「相馬木挽唄」「宮城長持唄」
「さんさしぐれ」「南部牛追唄」「会津磐梯山」
「北海盆歌」「津軽じょんがら節」、、、。

 一体何曲唄って下さったでしょうか?  
もうアンコール、アンコールの連続で、
渡部さんが喉つぶしちゃうよっていうぐらい、
名曲の数々を力一杯唄いつづけて下さったんです。
いやあもう、、、ほんっとに素晴らしい歌声でした。
                    



ずっとたいてい、いつもじっと横になって寝ていたおばあちゃま。     
この時は伸びあがってお手拍子してました。

民謡大会


民舞も披露。 
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この方もお一人ではなかなか起きて動けなかった。
でもお手拍子はしっかりと。

民謡大会
          

石神福祉委員会のみなさん。
すごい楽しい体操を披露して下さいました。
みなさんほんとにやさしい、いい方なんです。
すごいお世話になってしまいました

福祉委員会のみなさん

福祉委員会
                      

私これ、一緒に体操してるんだけど、
どう見ても応援団に見える(笑)。
(なんかちょっと太ったな、、、。) 

体操


かっちゃん初登場。  
やっちゃんのお隣は福島民報の支社長さんです。 
何度も渡部さんを取材してるみたい。
かっちゃん



私たちにも何故か取材してして下さったので、

「あのー、、、なんで取材して下さるんですか?」

ってこっちからも取材したら、

「あのネ、ほかにも避難所もちろんあるんだけど、
カラオケ大会なんかやってるの、ここだけなの。」

えっ、、、?  うそっ、、、?  
やば、、、(笑)。



恐る恐るコンビニに新聞買いに行ったら、
なんと三段ブチ抜きで載せて下さってました。
パワフルTさんもわざわざ郵送してくれました。
    
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市長さんに直訴して無線ラン整備してくれた吉田さん。
すごいバイタリテイある人。

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みんなノリノリー。 18番、五木ひろし
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美空ひばりを熱唱。 むちゃくちゃうまかった。 
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民謡大会


お父さん、ホンっト楽しそうに唄うの(笑)。
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「憧れのハワイ航路」を口笛芸で。

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一曲だけ唄える民謡「南部俵積み唄」唄いました。
生三味線、生尺八、生太鼓で気持ちよかったー。
かっちゃん太鼓担当

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やすこ5



お父さん、北島三郎二曲目。
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やっぱりみんな演歌が大好き。
昼間、音響テストで演歌のカラオケ鳴らしたら、
みんな体がピクピクピクピクって反応してすごい面白いの(笑)。
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お一人お一人、なつかしい、、、。会いたいよ―(泣)、、、。
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かっちゃん、かなり疲れて目の下真黒(笑)。
この後、さらに渡部さんの歌で
盆踊り大会もやる予定だったんだけど、
さすがに時間切れでドクターストツプ、掛かってしまったワ(笑)。
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終わった後で、、、、ひとり考えた事、、、。

いつもひっそりとじいっと一人で寝ていたおばあちゃまが、
伸び上がって満面笑顔でお手拍子していた姿が
何度も何度も目に浮かんできて、、、。

思い切ってやってよかったんだよね、、、
と自分に言い聞かせたりしました。



渡部さん始め、力をお貸し下さったたくさんの皆さま方、
本当にありがとうございました!



この時の詳しい活動内容はこちらからどうぞ

その168福島市は実は戒厳令下にあるらしい













2011. 12. 08  
その①

夫は昔から京セラの名誉会長 稲盛和夫さんを
とても尊敬しているようでした。

夫の中で尊敬する人、
1位  西郷隆盛
2位  西郷隆盛
3位  西郷隆盛 でしょうか、、、? 

で、同点3位ぐらいで稲盛さんを尊敬してるみたいです。
鹿児島の人の同県意識って、ほんまに強いもんがあるねんなあ、
って、いっつも感心するんだけど、夫もやはり自分と同県人であり
偉大な先達者として昔も今もこのお二人が大好きなようです。

彼はあんまり文芸書なんかほとんど読まない人なのですが、
ごくたまーに、
「へえー。 めずらしく何やら本を読んでるなー。」 
とのぞくとたいがい「西郷隆盛」に関する歴史書を読んでいます。

で、けっこう間があいて、またもやめずらしく何か読んでるな、
という時もやっぱり「西郷隆盛」を読んでます。
私の見る限り、西郷さんが出てこない本を読んでるの、
ほとんど見たことないです(笑)。

県人会にももちろん入っていて、
仕事に追われてぜんぜん集まりには出席できてないんですが、
「稲森さんに、いつか会いたいな、、、。」
などと恐れ多い気持ちを持ちつつ入会したようです。(笑)

被災地南相馬のお話をずっと書かせて頂いているのですが、

故郷への愛・・・1~10 はこちらからどうぞ

4月入ってすぐに夫と2人で、
その後月末に夫が再度単身現地入り。

さらにその後5月、6月と今度は私が1人で1ヶ月間、
南相馬の高齢者の方たちが今後、仮設住宅に移られたあとの
介護のことで、単独でちょこまかとあっちこっちへと
動きまわっていたのですが、、、。

いよいよ大阪に戻る日が近づいて、
今度はいつここへ戻って来られるかわからないので、
かねてより私の中にある強い思いがあって、この地を去る前に
何としても実現させたいことが1つ、あったんです。

私がずっと関わっていた避難所の石神第一小学校体育館の中で、
最後に民謡大会をやりたかったんです。

何故ならこの南相馬には、この時点でやはり
放射能の影響のためなのか、芸能人の方の訪問がほとんどなくて、
ごく1部の方しか来られてなかったの。

( 6月時点で南相馬を訪問下さった方々。 )  
杉良太郎さん
伍代夏子さん
加藤トキ子さん
さだまさしさん
松原のぶえさん
みなさん、本当にありがとうございます! 

マスコミ各社も入れ替わり立ち替わり取材に来てましたが、
この時点では各マスコミの社員の人ではなく、
全てフリーのライターの方だったと思います。
社員で来ていたのは、「ニコニコ動画」ぐらいでしょうか?
( すごいぞ ! ニコニコ動画(笑)。
 大手マスコミ社員たちは1号機が爆発したときに
 50キロ圏外にみんな逃げたらしい。)

もちろん財界の大物なんて
ここで見たことなど1度もありません。

宮城、岩手の方にとてもたくさんの芸能人が
行ってらっしゃるのをニュースで見ていて、
みんなやっぱり、さみしそうにしてるので、
ほんのひとときだけでも、何かで楽しんでもらいたいなあ、、、。  
という思いがずっと強くあったんです。

この時ほどやっぱり芸能人の人たちのインパクトはすごいなあ、
と改めて実感してました。

ちょうどこの頃、長淵剛さんがあれは宮城石巻だったか、、、。 
被災地を慰問されて、そして自衛隊の方たちの前でも
熱いコンサートをしているのをTVで見てて、

「いいなー宮城県。ここにも誰かもっと来てくれないかなあ。
そしたらみんなどんなにか勇気づけられるだろうにな、、、。」

と、しみじみ思ってました。

( ゆうべ(12月10日)判明しました。
長淵剛さん、あのとき相馬市にも来て下さってたんですって。
コンサートはできなかったらしいですけど、、、。)

色んな芸能人の人が被災地に慰問に訪れるのを、
「売名行為」とか批判するマスコミもありましたが、

「それがどーした。 売名行為で何が悪い。
 彼らの励ましほど、強烈なものはないんだからね。」

とかずっと思ってました。

実は私「吉本興業」社長宛てにあつかましくFAXしたんです。
どなたか芸人さん、来てほしいって。
そして思いっきり笑わせてあげてほしいって、、、。
でも残念ながら、社長さんからは全然反応、なかったの、、、(笑)。

加藤トキ子さんたちも避難所の中まで来て頂くことはできなくて、
公民館などの集会可能なところまででした。

避難所の中は100人近くの避難者の人が
生活している場所なので、かなりたくさんの生活物資や器材、
もちろんおふとんも一杯ひいてあって、
はっきりいってもう、ごちゃごちゃーっとしてて、
大きな音響資材などを設置しての
大勢の人が集まる催しはしちゃダメって言われてて、、、。

公民館まで移動できない高齢者の人は結局、
何か大きな催しがあってもいっつも参加できなかったの。
おじいちゃんたち、みんな夜寝るの早いしね、、、。(笑)

地元NPOの方や、音楽活動されてる方の小さな
ミニコンサートなどは何度かあったんですが、
どちらかといえば若い人向けの音楽が多かったので、、、。

「じーさまばーさまたちに、
何かやって楽しませてあげたいなあ、、、。
でも芸能人の方にこの避難所の中まで来て頂くのはとうてい無理。
なら私がやっちゃおうかな、、、?」

と、考えてしまいました。

この後、私が帰った直後に、石神第一小の中まで
青葉城恋唄で有名なさとう宗幸さんが来て、
熱唱して下さいました。
さとう宗幸さん、ほんとにありがとうございました!

(これもゆうべ(12月10日)知りましたが
さとう宗幸さん、加藤登紀子さん、この時だけでなく
もう何度も来て下さっているそうです。)

で、亡くなった父母が民謡が大好きだったのと、
この南相馬は素晴らしい民謡の宝庫の地。

「ここで民謡大会とカラオケ大会やっちゃおう。」

と、考えて初めは1人でごそごそと準備していました。

もちろん私は民謡なんてむずかしくて歌えないので、
テープを流して、せめて「お囃子」だけでも生演奏で入れようと、
「鉦と太鼓と鈴」を用意してきてました。

両親が生前民謡教室に通っていたので、
その頃の先生にお願いして一式をお借りしてきていたんです。

私1人での企画運営はとても無理なので、最後の数日間だけ
夫も大阪から応援にかけつけてくれてました。

でも民謡はともかく、カラオケ大会は、

「もしかしてこんな時に不謹慎かもなあ、、、。」

と私にしてはめずらしく(笑)、慎重にならざるを得なかったの。

100人近い被災者の方は全て、津波、原発事故で
想像をこえる悲惨な体験をくぐってきた直後ですから、
精神的にかなり不安定な状態の方もたくさんいて、
こういういわば、にぎやかな鳴り物入りの催しが
体調にこたえててしまう場合も充分考えられたので、
1週間ぐらい前から1人ずつ「根まわし」を開始しました。

「ねえねえ、こういうことやろうかなって
計画してるんだけど、みんなどう思う?」
「えっ やっちゃん、ほんとにそんなことやってくれるの?」
「でも、いいのかなあ?  そんなことやっても。」
「いい、いい。 すごくいいっ。 やってやって。
みんなもう、すごいストレスたまってるの。
みんなで楽しく、ぱーっとやろうよ。」
「わーかった。 じゃあまかせて。思いっきりやっちゃうよ?」

と、全員は無理でしたが、ほぼ根回しは完了しました。

南相馬の人、無口っていう印象、私はあんまりなかったなあ、、、。
皆さんけっこうすごいおしゃべり。

一番仲良かった、軽トラごと津波に飲みこまれて死にかけた
Mさんの奥さんなんか、しゃべり出したら止まらないんで、
「奥さんごめん。私ちょっとトイレ。」って、、、(笑)。

Mさん気の毒に、一晩中電信柱にしがみついて生きのびてたのに
次の日奥さんに

「あんたッ、生きてんならなして早よ携帯してこねえべっ。」

ってえらい怒られたんだって、、、(笑)。

地震当時の壮絶な体験、こっちからは絶対聞かないんだけど、
自分から事細かに話してくれる人、けっこう多くて、
いっつも喫煙所でみんなでタバコ吸いながら(笑)、
お話、たくさん聞いてたの。

「うん、うん、、、。 
大変だったね、、、ほんとによく頑張ったね、、、。」

ってお話聞くことしかできないんだけど、、、。

でもやっぱりすごい遠慮しい。 そして頑固(笑)。

説教好きのおじいちゃん、何人かいて、

「おい、ここ来て、ちょっと座れ。」

って手招きして呼ばれて、
行って、ははーって正座して説教聞いて(笑)、

「おめえは中々素直でええ。」

って、よく誉められた(笑)。

地元のボランテイアの人も、
すぐにあれこれと協力して下さる方たちが増えてきて
皆さんが色々と知恵を出して下さって、
ある情報をつかみました。

同じく南相馬市在住の「民謡全国大会一位」になっている
すごい歌い手の人がいる、という情報をつかみ、
急きょその夜に夫と2人あつかましくご自宅へ押しかけて行って
お願いに上がったんです。

「渡部英夫さん」っていう地元の大工さんなんだけど、
東京両国国技館での民謡全国大会とかで
何度も何度も上位入賞している方なので、
何度もTV出演なさっているそうなの。

どこの馬のホネともしれない、
突然の我々の夜になっての訪問と無理なお願いに、

「承知しました。もちろん喜んで謳わせてもらいますよ。」

って即決で承知して下さって、

「それはそうとやっちゃん演奏はどうするべ?  
三味線は?  尺八は?
太鼓と大太鼓もなんだったら呼ぼうか?」

と、いつも一緒にやっている演奏家の方たちに
その場ですぐに連絡をとって、
みなさんからOKを取って下さったんです。  
もう、本当にうれしくて大感激でした。

「すごいよ! 生で日本一の民謡が聞けるなんて!
これでおじいちゃん、おばあちゃんたち、
どんなに喜んでくれるだろう!」

その南相馬を去る最後の日に、
夕方からの予定の民謡、カラオケ大会の
準備をすすめていたときに、 
避難者の方たちのお昼の食事が終えたころ、、、。

石神第一小学校避難所の出入口の扉が
ガラガラガラっと開いて、
背広姿の男の人たちが
10-13人ほどだったでしょうか?
突然静かに入って来たんです。

「ここに背広姿の男が来るって
めずらしいなあ。 一体どこの何者? 」

って思ってよくよく見ると、、、。

その真ん中にひっそりと静かにたたずんでいらしたのが、
なんと京セラ名誉会長稲盛和夫さんだったんです。
                
つづく

かっちゃんやっちゃん デコボココンビです。 
IMG_1646_convert_20120204090505.jpg       おこしやす ごてヤスやっちゃんどす。
年季入りの歴史戦国大好き歴女です。
これ、ただのコスプレです。         本職の芸姑さんじゃありませんもちろん(笑)。         当ブログはリンクフリーです。
転載等もご自由に。コメントも大歓迎です。
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2015年春お花畑の様子などアップしています。 写真をクリックください
プロフィール
2_convert_20150509053231.jpg Authorやっちゃん なぜか10人いれば10人           「 奥さんB型だよね? 」といわれるO型です。
頭に血が昇るとついガラガラヘビ状態に
なってしまいます。
更年期と戦う日々を送ってます。
介護事業所にてバイトしてマス。
大阪で建築業を営んでいましたが      かっちゃん実家鹿児島母要介護リハビリ
のため大阪から鹿児島に移り住みました。
やっちゃんO型       かっちゃんA型
あだ名 ごてヤス     自称 南海の黒豹

出身京都 現在鹿児島 出身鹿児島45年ぶりに
趣味 花づくり 読書   大阪より帰鹿

かっちゃん座右の銘 命惜しむな名こそ惜しめ
かっちゃんの尊敬する人 西郷隆盛
好きな人   西郷隆盛
好きなこと  西郷隆盛の本を読むこと。

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