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2015. 05. 11  
以前の記事で、
漫画家志望だった大昔の原稿を紹介させて頂いたんですが、
パート2です。
311大昔漫画家志望少女だったやっちゃんなんですー1

数十年前、かっちゃんと2人で建築業を始める直前まで、
大阪在住の漫画家さん3人のアシスタントを掛け持ちしながら、
その内のお一人にイラストのお仕事を分けて頂いてて、
ほそぼそとイラストを描きつつ、
自分のヘタな原稿シコシコ描いてた頃の、
30年以上も昔の作品です。

懐かしくって、つい写真たくさん撮ってしまって、、、
ご面倒ですがズズズ、、、と下へスクロール、
どうぞよろしくお願いしま~す。


2世帯同居のお話。
数十年後に自分がお姑さんと同居することになるとは夢にも思わず、
のんきにこんなお話描いてたのね
、、、。
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旦那に反対されながらあきらめきれず、
漫画描いてる主婦のお話

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パート1の方は主人公がたいてい男なんだけど、
この頃たしかレディースコミックに投稿してたと思う。
だからやっぱり主婦が主人公ってのが多いなあ
、、、。
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スクロールありがとうございました~!
最後までおつきあい下さって心から感謝です。







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2015. 04. 18  
前回にひき続き、もう一度西郷さんのことを
書こうと思う。

やっちゃんは3年前、
かっちゃん母の介護をするために
鹿児島に残ろう、と決意した時に、

「郷に入っては郷に従え。
誰よりも鹿児島人らしい鹿児島人になっちゃる。」

とけなげにも考えた。
(甘かった。)

かっちゃん母の鹿児島弁を1人ひそかに練習して、
少しでもしゃべれるようにと努力したんだけど、
もう3年以上になるというのに結局大阪弁が全く抜けない。

「大阪のおばちゃんが他県の言葉でしゃべるのは、
犬にニャアと泣かすよりもしかして不可能か?」

、、、と最近ではもう、
ちょっとあきらめ気分になってる。

それでももっと鹿児島のことを知ろう、勉強しよう、
という気持ちは強かったので、、、。

鹿児島といえば西郷隆盛
西郷隆盛といえば鹿児島。

ウチのかっちゃんがモロそういう人だった。
この傾向は都会に出た鹿児島県人会の人たちに
特に強い、と感じる。

かっちゃん手持ちの本を色々読んでみた。

彼はほとんど小説などの文芸書は読まない。
真剣に熟読するのは施工要領書、のみ。

唯一例外は郷土史と薩摩歴史書で、
特に西郷さん関連の本は何冊も読んでる。

幕末の話は大好きなんで、
今までもそれなりにあれこれ読んでたんだけど、
どちらかといえば坂本龍馬とか土方歳三フアンだったやっちゃん。
西郷さんのことはあんまり知らないことが多かった。

一番の謎は、
何故かっちゃんら鹿児島県人
今もって西郷さんを深く敬愛するのか?
という一点。

それをひも解く最大の資料はやはり

南洲翁遺訓

だろう。

これは、
戊辰戦争における敗軍の将である庄内藩・酒井忠篤への
西郷の丁重な接し方に感動したという、
酒井忠篤以下庄内藩士10数名が、
わざわざ鹿児島を訪れ、しばしば西郷の教えを乞い、
それを収録して著わしたものであるらしい。

命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして国家の大業はなし得られぬなり
。」

これはその中の有名な一節。
坂本竜馬は初めて西郷と会った直後、

西郷という奴、わからぬ奴だ。
小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。
もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう
。」

勝海舟の紹介で西郷に会った坂本竜馬は
このように感想を漏らしている。
これに対して勝は、

「坂本もなかなか鑑識のある奴だ。」

と坂本の人を見る目の確かさをほめている。
さらに江戸城無血開城に貢献した勝海舟によれば、
坂本竜馬が西郷に及ぶことができないのは

その大胆識と大誠意

であるとしている。

勝と西郷が国運を賭けて相対したのは明治元年3月。
場所は薩摩屋敷。
二人だけの直談判で江戸城の無血開城が決まった。
これによって江戸の町は戦火を免れた。

勝海舟の氷川清話によれば、
西郷は勝の江戸城明渡し、
新政府軍の進撃中止などの申し出を、
何も条件を付けずに飲んだ。

いろいろむつかしい議論もありましょうが、
私が一身にかけてお引き受けいたします
。」

勝は西郷の大胆識と大誠意に驚愕する。

血気にはやる新政府軍が江戸を目指して進軍中で、
一方幕府側は優勢な海軍力で新政府軍を粉砕しようと
意気込んでる状況だった。

そんな殺気立った現況の中で、
相手の言うことをそのまま信じる
しかも西郷はその言葉通り
新政府軍を一つにまとめてしまう。

もう一つ勝を感嘆させたのは西郷の態度だった。

西郷が俺に対して、
幕府の重臣たるだけのを失わず、
談判の時にも、
始終座を正して手を膝の上に載せ、
少しも戦勝の威光でもって、
敗軍の将を軽蔑するというような風が見えなかった
。」

と記している。


西郷さんは若い頃に肘を重篤に負傷しており、
身体は巨大だけれど、
けして腕っぷしの強い人ではなかった。
坂本龍馬のような剣客でもなかった。
陸軍大将であったけれど、
大村益次郎や高杉晋作がごとく、卓抜した軍事的才能が
ある人でもなかった。


薩摩には郷中制度という薩摩藩独特の
いわば青少年団的な組織が地域ごとに存在した。

部屋住みの藩士の子弟は皆これに入り、
年長者が年少者の剣術、学問などの教育にあたる、
郷中教育というものが行われた。

年少者は教えられたことを自分が年長になると、
さらに下の者たちに指導する。

西郷は若くしてこの郷中頭を務め続け、
普通18才で退くところを廻りから引き止められて、
郷中頭を24才まで務めた。

さらに薩摩には、
オセンシ、というものが存在した。

オセンシとはお上が決める役職ではなく、
郷の人々がおのずと推奨する存在で、
薩摩の郷中で発酵するように出来上がってゆく、
リーダー的存在らしいが、
そのオセンシの権限と命令は絶対、であったらしい。

義を言うな。」

という言葉は今でも存在するが、

オセンシに逆らうな。」

と言われた。
城下の各小地域に伝統的に存在した、
多くのオセンシたちの
頂点に立つ大オセンシが、
西郷隆盛であったといえる。

やっちゃんは西郷という人物に
きわめて郷土的な存在感を感じる。
そういう側面も今なお敬愛される一因なのかもしれない。

人々が自然発生的自発的に上に措く存在。
弟、西郷従道が言うように、
人は彼に接すると否がおうなく、
西郷という存在に惹かれ、仰ぎ、後に従ってしまう。

西郷が下野したとき、
新政府軍の薩摩系近衛士官たちは、
ほとんど彼の後を追って鹿児島に帰ってしまった。

つまり、新政府の重大な軍事力の大半が
薩摩に戻ってしまった。

リーダー的というより、
ある意味、
ボス的存在なのかもしれない。

ならばお山の大将、独裁者であったか、といえば
けしてそうとは思えないほど、
西郷さんの足跡、業績には私欲、というのが
かけらも感じられない。

事実、暮らしや身の回りなど、
質素で粗末な人であったことは誰しもが認めるところ。

第一、口舌の徒ではなく、
現実の大変革を成し遂げた指導者であったこともまた、
史実なんだよね。

う~ん、、、。
書けば書くほど不思議な魅力に満ちた人物、
だと思えてきた。

これは大久保利通も同様で、
彼の暗殺後調べたところ、
彼が自腹新政府に立て替えた金額は莫大で、
多額の借金が残ってたらしい。

そういえば現代のリーダー論に、
つまり人の上に立つ人の要素として、
知識やスキルの方ばかりが重要視されていて、
人としての気高さや清廉さがほとんど
重要視されてない気がする。

前記事と繰り返しになるけど、
何度でも言いたいけど、

利権まみれの政治家たち、
耳の穴かっぽじって、
あんたらに良~く聞かせてやりたい。







2015. 04. 16  
川路利良(かわじ としよし)
という人物をご存じだろうか?

幕末から明治初期にかけての
薩摩藩士、警察官僚、陸軍軍人にして、
初代大警視(警視総監)をつとめ、
欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した、
日本警察の父といわれる人なんだけど。

薩摩藩の家臣は上士、郷士などに分かれていて、
西郷隆盛、大久保利通と同様、
川路利良は身分の低い出身の人だった。

その生真面目な仕事ぶり、人柄を西郷さんに愛され、
大抜擢されたりしてた人なんだけど、
戊辰戦争で桐野利秋とともに西郷隆盛に認められ、
桐野は軍隊を、川路は警察をまかされたりしてた。

だけど鹿児島県内では恐らく長年、
ものすご~く評判は悪かったのかもしれない。
なぜなら、、、。

以下wikiより1部抜粋。


、、、維新後西郷の招きで東京府大属となり
司法省の西欧視察団(8人)の一員として欧州各国の警察を視察する。

帰国後、警察制度の改革を建議し、
ジョゼフ・フーシェに範をとったフランスの警察制度を参考に
日本の警察制度を確立した。

明治7年(1874年)、警視庁創設に伴い
満40歳で初代大警視(後の警視総監)に就任。
(この年齢は現在でも史上最年少)。

執務終了後ほぼ毎日、自ら東京中の警察署、
派出所を巡視して回り、
一日の睡眠は4時間に満たなかったという。

明治六年政変で西郷隆盛が下野すると、
薩摩出身者の多くが従ったが、川路は

「私情においてはまことに忍びないが、
国家行政の活動は一日として休むことは許されない。
大義の前には私情を捨ててあくまで警察に献身する」

と表明した。

内務卿となった大久保利通から厚い信任を受け、
不平士族が喰違の変、佐賀の乱などを起こすと、
密偵を用いて動向を探った。

薩摩出身の中原尚雄ら24名の警察官を、
「帰郷」の名目で鹿児島県に送り込み、
不平士族の離間工作を図ったが、
中原らは西郷の私学校生徒に捕らえられた。

苛烈な拷問が行われた結果、
川路が西郷を暗殺するよう指示したという自白書がとられ、
川路は不平士族の間では大久保と共に憎悪の対象とされた。

西南戦争勃発後、川路は陸軍少将を兼任し、
警視隊で組織された別働第三旅団の長として九州を転戦する。

激戦となった3月の田原坂の戦いでは、
警視隊から選抜された抜刀隊が活躍して西郷軍を退ける。

5月には大口攻略戦に参加した後、6月には宮之城で激戦の末、
西郷軍を退けて進軍するが、その後旅団長を免じられ東京へ戻る。

旅団長は大山巌(後の第2代大警視)が引き継いだ。




、、、という背景でもって、つまり大久保さん同様、
西郷さんの敵に回っただけでなく、
西郷暗殺疑惑まで持たれてたからなのよね。
これが果たして真実なんかどうかわからないけど。

でも今はそうでもないみたい。


NHK鹿児島県のニュースより


鹿児島県警察本部では川路大警視に学ぼうと、
新人の警察官たちが毎年、
生誕地までの往復およそ20キロの道のりを
隊列を組んで歩く訓練をしていて、
15日はこの春警察学校に入校した
新人警察官たちおよそ130人が参加しました。

新人たちは、鹿児島市役所の吉田支所の前をスタートし、
ゴミ拾いをしながら生誕地を目指しました。

そしておよそ2時間後に鹿児島市皆与志町の生誕地に到着し、
ほうきなどを使って川路大警視の生誕を記した石碑のまわりを
清掃していました。新人警察官の1人は、

「大変な道のりでしたが、
川路大警視の石碑を見たときには達成感がこみ上げてきました。
鹿児島の偉大な先輩である川路大警視のような警察官になれるよう、
これから頑張ります。」
と話していました。 04月15日18時57分



なんだって。
この吉田支所っていうのが、
やっちゃんとこから歩いてすぐのウチの村の中にあるの。

川路大警視に親近感持っちゃった~

スタジオ大和さんより写真お借りしました。
ありがとうございます。


4月15日毎年行われる警察学校の一大行事。
吉田支所を出発し、
皆与志に向かって20キロを2時間かけてひたすら歩く

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川路大警視の生誕を記した石碑のまわりを清掃
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清掃のあとは全員で黙祷
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新人警察官の皆さん、お疲れさまでした。
立派な警察官になって下さいネ。
そして鹿児島治安維持のためにどうか頑張ってほしい。



結局西郷の自刃によって士族の最後の反乱
西南戦争は終結し、
全国的な武士たちの反乱も全て終結を見た。

ここに武士の世の中完全に終わりを告げた。

この間のできごとを反乱者側の目線でモチーフにした映画、
ラストサムライ」を見た人は多いと思う。

やっちゃんの大好きな映画なんです、これ。
映画館に2回見に行ったもん。



西郷隆盛という人物については、
歴史学者始め多くの人が、

不用意な欧米化を戒めた西郷 西洋かぶれした長州の俗人
 世相を斬るあいば達也
より


西郷ほど民衆の信望を集めた政治家はいない。

彼が西南戦争に敗れて自死した後も、
人々は夜空に輝く火星を西郷星と呼び、
彼が中国やインドやシベリアで生きているという噂を信じた。

伝説の英雄をいつまでも野に放っておくのは得策ではないと
政府は判断したのだろう。
1889(明治22)年の憲法発布にともなう
明治天皇の特旨で西郷の賊名が解かれ、
正三位が追贈された。

それを契機に薩摩閥を中心に、
銅像建設に向けた動きが始まり9年後に完成した。
当初案は軍服姿だったが逆徒の経歴ゆえに撤回され、
設置場所も皇居前 から上野公園に変更された。

上野公園は「逆徒」を無害化して
「官」の側に取り込む格好の装置としても
機能してきたのである。

それにしても、と私は思う。

維新最大の功労者・西郷は
自ら樹立した政府なぜ反旗を翻したのか
どんな日本を作りたかったのか

夕空に屹立する巨大な銅像が、近代史のの塊のように見えた
。   



、、、的な疑問を投げかけてる。

やっちゃんなりには、
西郷さんは大久保さんのような政治家では
なかった、と思う。
骨の髄までやっぱり武士なんだと思う。

だけど幕府を倒し、日本の近代化を図る以外に
欧米の侵略を食い止める術がないことも熟知していて、
それを成し遂げた。

しかしそれには士族の解体
という大改革が必要だった。

全国の士族たちがそれを許すはずもない。
特に薩摩藩の武士たちは軍事力があり、
西郷さんはそれを押えるために下野した。

粗末でつつましい暮らしを送りつつ、
愛犬たちと故郷の山野を駆け巡る日々は、
彼にとって一番幸せな日々だったに違いない。
上野の銅像はこの頃の姿。

が、
若い武士たちの暴発
押さえ続けることの不可能を悟り、
自らが先頭に立ち、自らが自刃することによって、
意図的に全てを終息させようとした。

つまり全国の武士の象徴たる自身を
自ら抹殺した。

それによって、大久保ら政治家たちの手によって、
近代日本への真の夜明けが始まることを
彼は渇望していた。

事実これ以降、
士族の反乱は一切起こっていない。
大西郷の死によって全国の武士たちは

終わった。」

と腹の底から認識したに違いない。


、、、というやっちゃん史観なの。
西郷という人は自ら始めた維新への道を、
さらに自ら完結させた。

もちろんこの西南戦争によって、
多大な犠牲者が薩摩軍から出たことは違いなく、
時代の変換とはいえ、
大きな犠牲の上に維新はようやく成立した、といえる。



西南戦争経路。
南九州をぐるりと回って薩摩城山へ戻り、自刃している

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だって西南戦争の経路を見ると、
西郷が本気で新政府を倒そうと意図したとは
とても思えない。

本気で反乱起こす気だったならば、
軍艦手に入れて武器弾薬積み込んで、
大阪湾あたりに上陸すると思う。

そして、
だからこそ西郷さんは偉大な人物だったな、
とほんとに思う。

彼の言葉を利権まみれの政治家たちに、
耳かっぽじって聞かせてやりたい。


命もいらず名もいらず、
官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり








2015. 03. 27  
赤と白の花を同時に咲かせる源平桃


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源平桃

名前がいい。
紅白っていうのも縁起がいい。
何より姿が優雅でほんとに美しい。

ここ、かっちゃんの故郷吉田の村は島津家に統一されるまでは、
古くから吉田の殿さまが代々治めてて、
吉田の初代は鎮西八郎源為朝の子、為重。 
つまり源氏ゆかりの地
村に古い五輪の塔が残ってる。

鎮西八郎源為朝は大あばれ者であちこちにゆかりの地がある。
身長七尺(2,3m)という化け物に近い大男で、
弓を引けば
「一矢で馬上の二人以上を鎧そのまま射通した。」
というトンデモな人。

八郎為朝はすごいガキ大将で、
兄たちにも全く遠慮しない傍若無人ぶり。
たった13才で親父源為義を激怒させて放り出され、
鎮西(九州)へ追放され、九州でも大暴れした。

吉田郷は息子と孫に面倒みさせて自分はさらに暴れ回って、
最後は腕の筋を斬られて八丈島まで逃げた、とか
琉球の王になった、とかいう説もあるぐらいの大暴れ者。 
為朝の兄にあたる源義朝源頼朝、源義経兄弟の親父だから
彼らとは叔父甥になるワケ。 

平清盛のけんか相手、源義朝はいわずと知れた
頼朝義経兄弟のお父さん。
兄弟の上の兄貴が悪源太義平
で、叔父さんが鎮西八郎為朝で、
ひいひい祖父さんが超カリスマ八幡太郎義家
大河ドラマでは「炎立つ」で佐藤浩一がやってた。

目の隅が切れあがって容貌魁偉
強弓の使い手で左腕が右腕よりも4寸(12cm)も長かった、という。
強弓の使い手としては恐らく日本史上随一、と言われてる。


鎮西八郎源為朝 
生年保延5(1139)没年治承1.3.6?(1177.4.6)

鎮西為朝
日本の武将より




、、、もう3月も末だというのに、もうとっくに芽が出てて、
春の陽気の中でぐんぐん育ってなきゃいけないのに、
肝心のじゃがいもの種芋の植え付けすらまだできてない。

かっちゃんが、

「そうや。
今年は絶対じゃがいもに挑戦せにゃ。
うま~い新じゃが、食べさせちゃる。」

と言ったのは夢だったんだろうか?


ようやく畑の整理と荒起しが終わっただけ。
左手前の細っこいのは桜の若木

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ここ連日、
仕事の合間に日が暮れるまで2人で必死で
花畑を作ってた。
花苗たちが、

いつまでほっとくねん。早よ植えんかい~っっ」

と大合唱する声にじゃがいもは勝てない。


つづきはこちらからどうぞ~♪

「やっちゃんのいきいき花苗育苗日記68,69」更新しました。




2015. 03. 23  
日曜日、大河ドラマ篤姫のロケが行われた、
出水武家屋敷群へ行ってきました。
約60キロちょっと、はあったかな? 久しぶりの遠出です。

薩摩藩最大の外城。
約44ヘクタール、150戸余りの武家屋敷群。
その規模の大きさと特徴ある美しい石垣、武家門住居などにより、
往時の薩摩藩の武家集落の面影をとどめてます。
平成7年12月、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定


知覧武家屋敷群は有名だけど、こちらはあまり知られてないかも?
静かな一角でタイムスリップ

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超反バリアフリーな入口
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いいなあ、廻り廊下。あこがれるよ
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ここに写ってる障子、かっちゃん実家のとおんなじだ
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ここで示現流の稽古をしたのね
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この日はお天気もよくて少し汗ばむぐらいの暖かさ。
往復4時間半もかけてドライブしたのはもう~久しぶりなんで、
ぐったり疲れてしまった
、、、。
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出水市は鶴の飛来地としても有名。
毎年10月中旬になると出水平野にツルの第一陣が舞い降りる。
ピーク時にはナベヅル・マナヅルを中心に1万羽超が飛来。


アオサギさんじゃないよ




かっちゃんやっちゃん デコボココンビです。 
IMG_1646_convert_20120204090505.jpg       おこしやす ごてヤスやっちゃんどす。
年季入りの歴史戦国大好き歴女です。
これ、ただのコスプレです。         本職の芸姑さんじゃありませんもちろん(笑)。         当ブログはリンクフリーです。
転載等もご自由に。コメントも大歓迎です。
当ブログでは相互リンク下さるサイトオーナー様を募集しております。 お申し込みはコメントでいただければ幸いです。 お待ちしてま~す。

ここをクリックして頂くと鹿児島の武者行列
薩摩川内(さつませんだい)はんや祭り写真集
にとびます。


花の種まき育苗ブログ
タネまきからの花の育苗園芸ブログです
こちらにもお立寄り下さったらうれしいです♡
2015年春お花畑の様子などアップしています。 写真をクリックください
プロフィール
2_convert_20150509053231.jpg Authorやっちゃん なぜか10人いれば10人           「 奥さんB型だよね? 」といわれるO型です。
頭に血が昇るとついガラガラヘビ状態に
なってしまいます。
更年期と戦う日々を送ってます。
介護事業所にてバイトしてマス。
大阪で建築業を営んでいましたが      かっちゃん実家鹿児島母要介護リハビリ
のため大阪から鹿児島に移り住みました。
やっちゃんO型       かっちゃんA型
あだ名 ごてヤス     自称 南海の黒豹

出身京都 現在鹿児島 出身鹿児島45年ぶりに
趣味 花づくり 読書   大阪より帰鹿

かっちゃん座右の銘 命惜しむな名こそ惜しめ
かっちゃんの尊敬する人 西郷隆盛
好きな人   西郷隆盛
好きなこと  西郷隆盛の本を読むこと。

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