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2012. 02. 24  
嫁姑問題勃発-1 はこちらからどうぞ


実はわたし、文章書くの、ワープロ打つのは
大のニガテでございまして、
ここまで丸2日かかってしまいました、、、。

ブログ機能の使い方さっぱりわからず何とか本文記事かけました。
コメントを頂戴した方々様、誠に申し訳ございません。
そしてありがとうございます。

本人いたって元気にしております。
(特に口は。)

車イスで病院内走り回っておる様子で、
どうか二次災害だけはおこしてくれるな、
と祈るばかりでございますが、、、。




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2012. 02. 24  
その③

鹿児島県現地で母と嫁がお世話になっておる皆様方、
本当にありがとうございます。

そしてデコボコブログにおこし下さるたくさんの方々に
あらためてお礼申し上げます。

「退屈やから病室でワープロ打ちたい、記事更新したい。}

と言っており、今はアナログに大学ノートに
あれこれと書きためておるようです。

まだ当分は桜島でアナログな入院生活を
続けることになるかと思います。
お山が吹っ飛ばない事を祈ります。

嫁が再び元気にこちらへ戻ってまいりましたら
そのせつは皆さま、
何卒、よろしくお願い申し上げます。






2012. 02. 24  
その②

すみません 昨日の続きを書かせて頂きます。

そしてこうも申しておりました。

「かっちゃん、日本人てすごいね。
うまれて初めて車イス生活してるけど
スタッフの方、お見舞いに来られてる方、
外来に受診来られてる患者さんまで、
皆さんすごい親切にして下さるの。

ドア開けて下さったり、ちょっとした坂道押して下さったり、
エレベーター乗り降り助けて下さったり、、、。

ほんと、日本人に生まれて良かったってほんとに思うわ。
人の情けが身にしみるワ。」

と、、、。




2012. 02. 23  

皆さん,はじめまして。

やっちゃん夫、かっちゃんです。

皆様にご挨拶が大変遅れてしまい

誠に申し訳ございません。

そしていつもいつもこのデコボコブログにおこし下さる皆様方、

お礼を申し上げるのが今になってしまったことを

心よりおわびいたします。

鹿児島のお袋が脳梗塞で倒れ、今もずっと

桜島の病院で入院治療しておるのですが

実を申しますと嫁も同じ病院でお袋と一緒に

嫁姑で仲良く一緒に隣どうしの部屋で

入院しておるのでございます。

現地入りしてから5日目、だったでしょうか?

嫁はその日朝から1日お袋のベッドのそばに

ついておってくれていたのですが、夕方5時頃、

「ほなお母さん、また明日も来るからね」

と、ちょっとベッドを直そうとした拍子に

「うっ!」

と、うめいてズルズルと床にたおれて、

口をパクパクさせて脂汗を流しており、

車イスのせられてそのまんま入院とあいなりました。

本人申すには、

腰をパイプの様なもので殴られた様な激痛がした、と。

てっきりギックリ腰だと思ったのですが、

レントゲンを撮った所、先生が

「ご主人、ギックリ腰ではないですね。骨が折れてますよ」

と言われ、腰骨の圧迫骨折と診断を受け

コルセットをつけて全治1ケ月と言われました。

一事は夫婦共々真っ青になったのですが、

痛み止めとコルセットで安静にして、ほぼ2週間たった今は

かなり痛みが楽になってきている様で、

「骨がちゃんとかたまるまでは部屋の外へは歩いちゃダメ」

と言われてるので、

車イスで自由に病院内をあちこち動きまわっていて

お袋の病室へもたびたび行って、車イスに座ったまま、

手足をマッサージなどしてくれておるようです。

私はこれ以上仕事を離れられず、

つい先日先に大阪へ戻ってまいりました。

嫁が

「私とお母さんのことは心配しなくていいから。

看護師の方、皆さん、

とっても良くして下さるし、

私も痛いのは腰だけで口は達者やから大丈夫。

それより早よ帰って2人分の入院費稼いできて。」

と、言ってくれるので、

後ろ髪引かれる思いで先に大阪へ戻ってまいりました。

「かっちゃん、これはご先祖様のお導きかも知れん、

お前はここへ残れ、と。 仕事しなくて良い。と。

お母さんと同じ病院でずっとそばに一緒にいるから、

お母さんもすごい安心してくれはるし、、、。」と。








  
2012. 02. 05  
鹿児島のお母さんが入院することになったので、
明日からしばらく2人で帰ってきますね。

もう85才になるお母さん。
実は去年の夏にも1度倒れてて、
鹿児島親せき一同大さわぎになってたんだけど、
奇跡的にかなり良くなって、元気に戻ってたのだけれど、、、。

やはり年が年だから、この寒さはほんとに体に応えてしまう。
血圧と血糖値が異常に上がってしまってるようなんです。
詳しくは帰ってみないとわからないんだけど、、、。
とにかく行ってまいります。
しばらくブログ更新はお休みさせて頂きますね、、、。

一応全部用意はできたので、仕事の方は若い子におまかせ、、、。
とてもきっちりやってくれるので、安心して留守にできます。
事務所には親友のりピー(その124 参照)がお留守番に来てくれます。

軽自動車の後ろにお布団ひいて交代で運転するの。
ほぼ1000キロあるから休み休み行きます。

鹿児島のお母さんは一言で言うなら、、、。
仏さま菩薩さまみたいにやさしい人。

専業農家で、亡くなったお父さん出征もしてるし、
もちろんおばあちゃんと同居だったし、
かっちゃんの弟、生涯ほとんど寝たきりに近い障害を持っていたし、
もうはかりしれない苦労してきた人なんだけど、
全然そういう苦労を周りに感じさせたことのない人。

やさしいやさしい素朴なお顔で人柄で、こんなできの悪い、
なんの役に立たない嫁に、帰省したときいっつも

「やっちゃあんごはん食べんね?  
 疲れたやろう? 横になりんさいよ~。」

って言ってて、わたしゴロゴロしてて(笑)、、、。

「おかあさ~ん、わたし後で食べるから置いといて~。」

とか勝手なこと言ってて、
もう天罰下りそうな(笑)だめ嫁なのに、
今までただの一度もいやなことなんか言われたこともないし、
ほんと誰に対してもそういう人なの。

遠くに離れてるから
普段わたしたち何にもしてあげられなくて、、、。
おかあさーん、待っててね。
かっちゃんやっちゃんが今すぐそばに帰るからねー。

亡くなった母もかなりやさしい癒し系の人で、
お母さんとはまた少し違うんだけど、
私とは趣味思考性格、真反対。
私は父親似で、若い頃は、父に顔も性格もうりふたつ、
と良く言われました。 ところが、、、。

不思議ですね。
最近年をとってから、母親とうりふたつになってきた、
と言われるようになってきたの。

母を一言でいうなら「魔性の女」(笑)。

母と私は何が違うといって、
今までにあんなに男にモテる女をわたし、見たことないの。
私は過去に一度も男にモテたことがない(笑)。

全然美人なんかじゃないのに、男は若いのも年寄りも、
何故だかみんな母の側へ寄って行く。
で、自分でもそれが良くわかってて、
うまいこと男たちを動かしてた、と私は思うの(笑)。
( けどみんなそれに気づかない。 )
ほんと、不思議な人でした。

あの超俺様のワンマンガンコ親父が膵臓癌で亡くなる直前、
弱りきった体で

「お母ちゃんが心配やなあ、、、。
 俺がおらんようになって大丈夫やろうか、、、?」

って言うから、

「なんにも心配いらんがな。わたしがついてるねんから。 
 お母ちゃんに不自由な思いなんか
 絶対させへんから安心してて。」
「お前のことはなんも心配してへん。
 お前は何をやってでも生きてく女やからな。
 けどお母ちゃん、俺がおらんかったら心配やなあ、、、。 」

っていうんで、

「ちょっとは私のことも心配してよ。」って、、、(笑)。

そうか、、、。  今わかった。
側についててやりたくなる女なのね、、、?
ひとりにして放っておけないワケね?
そこがミソなのね、、、。
今頃気がついても、もう遅い、、、?

男は人生がもろに顔に出ますよね?
年取れば取るほど、男の人の顔はステキになると思うの。
ところが悲しいことに女はそういうワケにいかない、、、。
若さを失ったらもう終わり、、、。

と、今まではずっとそう考えてたの。
でもね、、、。

一概にそうも言えないんじゃないかなあ~?
って最近思うようになったの。
女も同じく、その人の歩いてきた人生がそのまんま
顔に出ると思うの。

もちろん、シミシワたるみと若い女性には勝てないけれど、
そんなものはしょせん皮一枚のことで
人の美しさにはもっとはかりしれない何かがある、、、。
と最近考えるようになってきた。

母親の若い頃からの写真をずっと見てゆくと、私には
「あれえ?  年をとってからのほうがキレイになってる? 」
ように見えるの。

亡くなって最後に死化粧してあげたとき、
もう、息をのむほどきれいだった。
このまま焼いてしまうのがもったいないぐらいに、、、(笑)。

生きてる頃は母を一度も美人だと思ったことなんかないんだけど、
人って女って、、、ほんとうに不思議ですう。


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多分30代前半ごろ? やっちゃん生まれてないかも。
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                        40代頃。
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亡くなった兄です。
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50代頃。高校時代のブイブイいわしてた頃のやっちゃんと。
IMG_1710_convert_20120205004343.jpg 
            俺さま義男さま。 もちろん軍隊行ってる。
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婦人子ども服のお店をやってた頃。
かっちゃんこのときすでに巻き込まれて
エプロンつけて手伝わされてる。

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義男さまも同じく。自営業者はみんな結局巻き込まれる(笑)。
たぶん心筋梗塞の病気のあと。かなりやせてる。
瞬間激怒症で人生3度大病してる。結核、心筋梗塞、膵臓癌。
兄が交通事故起こして警察へ迎えに行って、
おまわりさんの目の前で激怒して「ばかもーんっ!!」と兄を殴り飛ばし
その瞬間「うっ。」て胸押えて発作起こして救急車で運ばれた人。
(参照)その823月11日全てが流されてしまった日
亡くなったときは「やっと死んでくれた。」
ってホっとしたけど(笑)、半年間ぐらいずっと泣いてた私、、、。

IMG_1716_convert_20120205004528.jpg
60代半ばごろ。かっちゃん若い !
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バックは鹿児島開聞岳。
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この頃大手術をした後で激やせしてる。 民謡大会で。
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母の民謡と三味線の先生。
とってもキレイでやさしい先生。 60代後半。

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最晩年。 70才に手が届いた頃。
「お父ちゃんのおかげで私はほんまに幸せな女やった。」
ってずっと死ぬまで言ってたなあ、、、。

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従兄連中。 なぜか義男さま、いつもベレー帽かぶってて、
母は画家と間違えたらしい。 当時左官職人。
やっちゃんのあだ名「ごてヤス」はすでにこの頃から。(一番左)


けど、
まさか死んで10年以上もしてから
ネットに自分の写真をさらされるとは
夢にも思ってなかったろうな。
さぞ怒ってるだろな。
親父が仏壇の扉を蹴破って、化けて出てきたらどうしよう(笑)。





かっちゃんやっちゃん デコボココンビです。 
IMG_1646_convert_20120204090505.jpg       おこしやす ごてヤスやっちゃんどす。
年季入りの歴史戦国大好き歴女です。
これ、ただのコスプレです。         本職の芸姑さんじゃありませんもちろん(笑)。         当ブログはリンクフリーです。
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プロフィール
2_convert_20150509053231.jpg Authorやっちゃん なぜか10人いれば10人           「 奥さんB型だよね? 」といわれるO型です。
頭に血が昇るとついガラガラヘビ状態に
なってしまいます。
更年期と戦う日々を送ってます。
介護事業所にてバイトしてマス。
大阪で建築業を営んでいましたが      かっちゃん実家鹿児島母要介護リハビリ
のため大阪から鹿児島に移り住みました。
やっちゃんO型       かっちゃんA型
あだ名 ごてヤス     自称 南海の黒豹

出身京都 現在鹿児島 出身鹿児島45年ぶりに
趣味 花づくり 読書   大阪より帰鹿

かっちゃん座右の銘 命惜しむな名こそ惜しめ
かっちゃんの尊敬する人 西郷隆盛
好きな人   西郷隆盛
好きなこと  西郷隆盛の本を読むこと。

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