2011.
11.
13
故郷への愛・・・1
実は私、このFC2ブログの中の
「起業寺小屋」さんのかくれファンなのですが、
( ほとんど毎日更新されててすごいな、、、。)
ちょくちょく記事を読ませて頂いていて、
たまたま今日の記事を「社会貢献」というテーマで
書いていらしたので、
ちょっと色々と考えてしまいました。
夫は鹿児島出身で、18才で故郷を後にして以来40年以上、
戻ることがないまま生きてきました。
年に1-2度帰省するだけで、故郷とはほとんど関われないままに
今日まで来てしまっています。
お父さんは一昨年90才で亡くなり、お母さんは85才。
今も独りで家を守っています。
ありがたいことに、身内の人が周りにたくさんいて、
入れ替わり立ち替わり、毎日誰かが
お母さんとおしゃべりに来て下さっています。
なので、夫の中に、
「もしもいずれ、引退できる日が来たら鹿児島に戻って、
人生の最後のステージは故郷のために、
何か自分に出来る小さなことをコツコツとやっていきたい。」
といいます。
しかし、「引退」できる日はこないかもしれません。
もうずっと足元に火がついているような
こんにちの世の中の状態ですから、
のんきに引退などできようハズもなく、、、。
体が動く限りは、現役で働くことになるだろうな、と思います。
でも気持ちは良くわかるので、夢をこわすのもかわいそうだナ、
と思って、ふんふんと話だけは聞くようにしています。
鹿児島県人の方の「郷土愛」はとても深いものがありますが、
地方から1人出てきて、学生時代の親友とも
親兄弟、身内とも、遠く離れて大都会で働き続けている、
という方はものすごくたくさんいらっしゃいます。
この大阪にはとくに九州、四国方面からの方が多いです。
「故郷は遠きにありて想ふもの
そして悲しくうたふもの
よしうらぶれて 異土の乞食になるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都の夕暮れに 故郷おもひ涙ぐむ、、、。」
この方たちの故郷への想いは、ずっと大阪地元で暮らしてきた
私たちにはうかがいしれない程のものがあると思います、、、。
夫の心の中のささえは、
「故郷へは、そう簡単に戻ることはできない。
しかし戻れなくても、18才のあの頃と変わらぬ姿でちゃんとそこに
いつも存在してくれている、、、。」
そのようなものだったと思います。
夫の実家は鹿児島でもかなり田舎の方で、専業農家で、
今も昔のままの、とても美しい里山の風景がそのままにあって、
さぞや地元の方たちの努力でそれが実現できているんだろうな、
と思います。
「日本中に俺と同じような人はたくさんいる。
みんな戻れなくても故郷への想いは自分と同じ。
心のささえにしてみんな都会で頑張っている、、、。」
そのような気持ちで生きてきたのだと思います。
ところが、、、。
この3月11日のあの日に、、、。
夫の中で、何かがはじけてしまう出来事が起こってしまいました。
東日本大震災と福島第一原発の爆発事故です。
つづく
実は私、このFC2ブログの中の
「起業寺小屋」さんのかくれファンなのですが、
( ほとんど毎日更新されててすごいな、、、。)
ちょくちょく記事を読ませて頂いていて、
たまたま今日の記事を「社会貢献」というテーマで
書いていらしたので、
ちょっと色々と考えてしまいました。
夫は鹿児島出身で、18才で故郷を後にして以来40年以上、
戻ることがないまま生きてきました。
年に1-2度帰省するだけで、故郷とはほとんど関われないままに
今日まで来てしまっています。
お父さんは一昨年90才で亡くなり、お母さんは85才。
今も独りで家を守っています。
ありがたいことに、身内の人が周りにたくさんいて、
入れ替わり立ち替わり、毎日誰かが
お母さんとおしゃべりに来て下さっています。
なので、夫の中に、
「もしもいずれ、引退できる日が来たら鹿児島に戻って、
人生の最後のステージは故郷のために、
何か自分に出来る小さなことをコツコツとやっていきたい。」
といいます。
しかし、「引退」できる日はこないかもしれません。
もうずっと足元に火がついているような
こんにちの世の中の状態ですから、
のんきに引退などできようハズもなく、、、。
体が動く限りは、現役で働くことになるだろうな、と思います。
でも気持ちは良くわかるので、夢をこわすのもかわいそうだナ、
と思って、ふんふんと話だけは聞くようにしています。
鹿児島県人の方の「郷土愛」はとても深いものがありますが、
地方から1人出てきて、学生時代の親友とも
親兄弟、身内とも、遠く離れて大都会で働き続けている、
という方はものすごくたくさんいらっしゃいます。
この大阪にはとくに九州、四国方面からの方が多いです。
「故郷は遠きにありて想ふもの
そして悲しくうたふもの
よしうらぶれて 異土の乞食になるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都の夕暮れに 故郷おもひ涙ぐむ、、、。」
この方たちの故郷への想いは、ずっと大阪地元で暮らしてきた
私たちにはうかがいしれない程のものがあると思います、、、。
夫の心の中のささえは、
「故郷へは、そう簡単に戻ることはできない。
しかし戻れなくても、18才のあの頃と変わらぬ姿でちゃんとそこに
いつも存在してくれている、、、。」
そのようなものだったと思います。
夫の実家は鹿児島でもかなり田舎の方で、専業農家で、
今も昔のままの、とても美しい里山の風景がそのままにあって、
さぞや地元の方たちの努力でそれが実現できているんだろうな、
と思います。
「日本中に俺と同じような人はたくさんいる。
みんな戻れなくても故郷への想いは自分と同じ。
心のささえにしてみんな都会で頑張っている、、、。」
そのような気持ちで生きてきたのだと思います。
ところが、、、。
この3月11日のあの日に、、、。
夫の中で、何かがはじけてしまう出来事が起こってしまいました。
東日本大震災と福島第一原発の爆発事故です。
つづく
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