2011.
12.
30
今年も残すところ、あと1日になってしまいました。
例年、今頃になると、
「あーあ、、、。 今年もロクなことなかったナ、、、。
来年も多分、ロクなことないんだろうな、、、。」って
1年間の疲れと、まだ31日にかたづけてしまわないといけない
家の中のてんこもりの仕事のこととで、正月が来るっていうのに
あんまりハイにはなれない私、、、。
でも今年はただ、こうして家族が無事に、ごく普通に
一緒に過ごせてることに、感謝する気持ちしか持てないの、、、。
南相馬で出あったおじいちゃん、おばあちゃんたち、
今はみんな仮設で暮らしてる。
みんなすごい寒いだろうな、、、。
あんなペラペラの壁だもん、、、。
「おじいちゃん、最近お酒を良く飲むのよ。」って
Kさんのおばあちゃん言ってたけど、無理もないよね、、、。
すごい心配だけど、、、。
おじいちゃん、あんまり飲みすぎないといいんだけどな、、、。
あんな地震さえ起こらなきゃお二人、浜辺の古い、
大きなりっぱなおうちで、お庭で畑仕事して、
孫ちゃんたちと遊んで、
ささやかに幸せに、みんなで仲よく暮らせていたのに、、、。
今は娘さんご夫婦は放射能を避けて新潟に避難してる。
おうちは津波で壊されてしまった。
石神避難所で聞いたたくさんのお話の中で、
一番つらかったのはHさんのお話、、、。
あの日、Hさんと80才を超えたお母さんと2人で家にいて、
ガレキと激しい濁流が家を直撃して、あっという間に家は壊れて
2人ともガレキの濁流の中に投げ出された。
Hさん、けっこうたくましい体してるから、
お母さんを左手で抱きかかえて濁流の水の中、
右手で木にしがみついた。
目の前に畳が1枚あって、Hさん必死で左手1本で
お母さんを畳の上によじ登らせた。
でも、、、。
そこへまた、激しいガレキのかたまりの濁流がぶつかってきて、
お母さんの腕から少しずつHさんの左手、ずり離れてしまって、
お母さん、畳につかまったまま、流されていった、、、。
そしたら激しかった流れが少しずつ弱まっていって、
はるか向こうに流されたお母さん、
しばらく濁流の中で止まって漂ってた。
そして今度は突然、流れが激しく逆流し始めた、、、。
でも、お母さんとHさんの2人の距離、
その時すでにものすごく離れてしまってて、
もう、どうにもならなくて、
お母さん、そのまんま畳に乗って、濁流と海の方向へ
流されていってしまった、、、。
Hさんが
「おふくろ、俺の方行さ戻ってきて、そのまんま俺の目の前、
畳さ乗って流されてぐとき、
何度も俺に向かってうなづいたんだよ。
最初2人で一緒にしがみついてた時はおふくろ、
顔が恐怖でひきつってたんだけど、最後流されてぐとき、
そんなに顔、全然ひきつってなくってよ、俺さ向かって
何度も何度もうなづいてたんだよ、、、。」
これが2人の最後になってしまった。
そしてご遺体はとうとう発見されなかったの、、、。
現地で出あったボランテイア仲間の
たぬきさんこと、竹嶋宗也くん。
彼は「思い出お帰し隊」の初代隊長として、膨大な量の遺留品の
洗浄、整理、展示、という気の遠くなるような
根気のいる作業をしていたの。
初代隊長、たぬきさんこと竹嶋宗也くん。
テントを張って自給自足。 寒かったろうな、、、この頃。



まず大量に遺留品がガレージに集められてきます、、、。

1つ1つ、泥を落として、洗浄されて並べられてゆきます。


ご家族の方たちが探しやすいよう、
キーワードを見つけて整理、展示されてゆきます。

写真は全部たぬきさんからお借りしてます。
たぬきさん、どうもありがとう!
1つ1つの遺留品を根気よく根気よく、
ご家族の方ができるだけ発見しやすいように1つ1つ、
泥を落として、キレイに洗って整理して、展示して、
「1つでも多くの遺留品を俺はご家族の元に返すぞ。」
と固く胸に決意を秘めての、地味で地道な作業の繰り返しに
彼は没頭していた。
男の人たちの作業の中で1番人気はなんといっても
「ガレキ撤去」。
やっぱりこう、ガーっとガレキかたづけると、
「やったーっ。」って達成感があるらしいの。
「思い出お返し隊」は、すごい果てしない根気のいる作業だから、
誰もができる作業じゃないわ、、、。
南相馬で出あったたくさんの人たちに、ほんとに感謝、、、。
私を助けて下さった、たくさんの方たちに本当に感謝、、、。
こうして、ごく普通に暮らせてる幸せに、心から感謝、、、。
そしてこの「デコボコブログ」にわざわざ来て下さって、
こんなつたない記事を読んで下さった、たくさんのみなさん、
ほんとうにありがとうございます。
どうぞみなさま、来年もよろしくお願いします。
みなさんのご健康を、そしてみなさんの来年のさらなるご活躍を、
やっちゃんから感謝をこめて、心からエールを送ります。
そして大震災で亡くなられた方々に、深い祈りをささげたい、、、。
例年、今頃になると、
「あーあ、、、。 今年もロクなことなかったナ、、、。
来年も多分、ロクなことないんだろうな、、、。」って
1年間の疲れと、まだ31日にかたづけてしまわないといけない
家の中のてんこもりの仕事のこととで、正月が来るっていうのに
あんまりハイにはなれない私、、、。
でも今年はただ、こうして家族が無事に、ごく普通に
一緒に過ごせてることに、感謝する気持ちしか持てないの、、、。
南相馬で出あったおじいちゃん、おばあちゃんたち、
今はみんな仮設で暮らしてる。
みんなすごい寒いだろうな、、、。
あんなペラペラの壁だもん、、、。
「おじいちゃん、最近お酒を良く飲むのよ。」って
Kさんのおばあちゃん言ってたけど、無理もないよね、、、。
すごい心配だけど、、、。
おじいちゃん、あんまり飲みすぎないといいんだけどな、、、。
あんな地震さえ起こらなきゃお二人、浜辺の古い、
大きなりっぱなおうちで、お庭で畑仕事して、
孫ちゃんたちと遊んで、
ささやかに幸せに、みんなで仲よく暮らせていたのに、、、。
今は娘さんご夫婦は放射能を避けて新潟に避難してる。
おうちは津波で壊されてしまった。
石神避難所で聞いたたくさんのお話の中で、
一番つらかったのはHさんのお話、、、。
あの日、Hさんと80才を超えたお母さんと2人で家にいて、
ガレキと激しい濁流が家を直撃して、あっという間に家は壊れて
2人ともガレキの濁流の中に投げ出された。
Hさん、けっこうたくましい体してるから、
お母さんを左手で抱きかかえて濁流の水の中、
右手で木にしがみついた。
目の前に畳が1枚あって、Hさん必死で左手1本で
お母さんを畳の上によじ登らせた。
でも、、、。
そこへまた、激しいガレキのかたまりの濁流がぶつかってきて、
お母さんの腕から少しずつHさんの左手、ずり離れてしまって、
お母さん、畳につかまったまま、流されていった、、、。
そしたら激しかった流れが少しずつ弱まっていって、
はるか向こうに流されたお母さん、
しばらく濁流の中で止まって漂ってた。
そして今度は突然、流れが激しく逆流し始めた、、、。
でも、お母さんとHさんの2人の距離、
その時すでにものすごく離れてしまってて、
もう、どうにもならなくて、
お母さん、そのまんま畳に乗って、濁流と海の方向へ
流されていってしまった、、、。
Hさんが
「おふくろ、俺の方行さ戻ってきて、そのまんま俺の目の前、
畳さ乗って流されてぐとき、
何度も俺に向かってうなづいたんだよ。
最初2人で一緒にしがみついてた時はおふくろ、
顔が恐怖でひきつってたんだけど、最後流されてぐとき、
そんなに顔、全然ひきつってなくってよ、俺さ向かって
何度も何度もうなづいてたんだよ、、、。」
これが2人の最後になってしまった。
そしてご遺体はとうとう発見されなかったの、、、。
現地で出あったボランテイア仲間の
たぬきさんこと、竹嶋宗也くん。
彼は「思い出お帰し隊」の初代隊長として、膨大な量の遺留品の
洗浄、整理、展示、という気の遠くなるような
根気のいる作業をしていたの。

初代隊長、たぬきさんこと竹嶋宗也くん。
テントを張って自給自足。 寒かったろうな、、、この頃。



まず大量に遺留品がガレージに集められてきます、、、。


1つ1つ、泥を落として、洗浄されて並べられてゆきます。


ご家族の方たちが探しやすいよう、
キーワードを見つけて整理、展示されてゆきます。

写真は全部たぬきさんからお借りしてます。
たぬきさん、どうもありがとう!
1つ1つの遺留品を根気よく根気よく、
ご家族の方ができるだけ発見しやすいように1つ1つ、
泥を落として、キレイに洗って整理して、展示して、
「1つでも多くの遺留品を俺はご家族の元に返すぞ。」
と固く胸に決意を秘めての、地味で地道な作業の繰り返しに
彼は没頭していた。
男の人たちの作業の中で1番人気はなんといっても
「ガレキ撤去」。
やっぱりこう、ガーっとガレキかたづけると、
「やったーっ。」って達成感があるらしいの。
「思い出お返し隊」は、すごい果てしない根気のいる作業だから、
誰もができる作業じゃないわ、、、。
南相馬で出あったたくさんの人たちに、ほんとに感謝、、、。
私を助けて下さった、たくさんの方たちに本当に感謝、、、。
こうして、ごく普通に暮らせてる幸せに、心から感謝、、、。
そしてこの「デコボコブログ」にわざわざ来て下さって、
こんなつたない記事を読んで下さった、たくさんのみなさん、
ほんとうにありがとうございます。
どうぞみなさま、来年もよろしくお願いします。
みなさんのご健康を、そしてみなさんの来年のさらなるご活躍を、
やっちゃんから感謝をこめて、心からエールを送ります。
そして大震災で亡くなられた方々に、深い祈りをささげたい、、、。
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明けましておめでとうございます
かっちゃんさん、やっちゃんさん。明けましておめでとうございます。
今年は自分は飛躍の年にしたいと思っています。宜しくお願いいたします。
今年は自分は飛躍の年にしたいと思っています。宜しくお願いいたします。
しのっちさん、あけましておめでとうございます。
昨年はほんとにありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
どんな年になるのか、、、。
あれこれ不安は大きいんですが、マイペースで
頑張ろうと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
どんな年になるのか、、、。
あれこれ不安は大きいんですが、マイペースで
頑張ろうと思います。
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